全日女子バレー監督の中田久美さんが
【プロフェッショナル】に登場!
実はバツイチ再婚で離婚理由や
今現在の夫と子は?
過去に負った再起不能の重傷とは?
復活後の活躍や、熱血指導で伝説の
放送事故となった動画!についても
調べてみました!
こんにちは、サイト管理人の007です。
今回注目したのは、この番組♪
2018年10月15日(月)22:15~放送
「プロフェッショナル」中田久美特集!
番組放送内容はコチラ(^^)/
プロフェッショナル 仕事の流儀
「バレーボール全日本女子監督・中田久美」女子バレーの復活に挑む「闘将」中田久美に半年間にわたって密着▽練習場に「一番乗り」し、選手をじっくり観察▽誕生日にはバースデーケーキでお祝い▽好物は「あん肝」?▽「新ヒロイン」黒後愛が明かす中田の素顔とは▽15歳で代表に選出された天才少女を待ち受けていた苦難の道のり▽「再起不能」の重傷からの復活劇▽2020年東京オリンピックで伝説を作るために、知られざる激闘の記録!
この番組に登場する人たちは、誰もが
認めるその道のプロフェッショナル…。
007(管理人)も毎週欠かしません!
今回はいつもとは一風変わった放送に
なりそうな感じですが、ともあれ
そこはオンエアを要チェックです!
というコトで、007ミッション開始!
中田久美(女子バレー)
バツイチ再婚(夫と子)は?
再起不能の重傷は?
熱血指導で伝説の動画!
「天才セッター中田久美」が
「全日本」の指導者として新たな一歩!
いったいどんな過去があったのでしょう…
今日も世界バレーではイタリア戦で
熱戦が繰り広げられていますが
今や、中田久美監督は大注目ですね♪
【目 次】
1.中田久美の経歴(プロフィール)
2.中田久美の離婚や、再婚した夫や子は?
3.中田久美の再起不能の重傷事故って?
4.放送事故とされた伝説の熱血指導の動画!
1.中田久美の経歴(プロフィール)
名前:中田久美(なかだ くみ)
生年月日:1965年9月3日
現年齢:53歳(2018年10月時点)
血液型:A型
身長:176㎝
中学:練馬東中学校
高校:NHK学園高校
出身:東京都練馬区
日本女子バレー史の開拓者として
現役時代にはオリンピックで話題
となった天才セッター中田久美さん。
バレーボールを始めたきっかけは
母親の助言だったそうで、中学の時に
バレーボールを始めたようですが…
14歳でバレーを始め、15歳1カ月の
史上最年少で全日本女子代表に選出
されていた天才バレー少女でした!
アタッカーからセッターに転向し
1年目にして日本リーグ史上初の
失セット0での全勝優勝に大貢献!
天才少女、天才セッターの異名を
全世界にとどろかせたスゴイ女性♪
また、日本女子バレー史上初めて
3度の五輪出場を果たすなど
全日本チームの司令塔としても
長く活躍された中田久美さん。
日本リーグ、プレミアリーグ(Vリーグ)
時代を通じて女子最多4度の最高殊勲
選手賞受賞者でもありますね~。
現役引退後は、解説者や人気のスポーツ
キャスターとしても活動していましたが
一念発起し、イタリアセリエA1部リーグの
コーチにも就任されました!
中田久美さんは、日本女子バレー史上
初めて、指導者として海外進出を
果たした偉大な才能の持ち主です。
イタリアで4年間のコーチ経験の後
国内で監督に就任し、初年度から
タイトルを総なめし全日本メンバーも
多く輩出しています。
2017年5月からは、日本では女性として
34年ぶり2人目となる、全日本女子代表
監督に就任されて、現在に至ります。
経歴
1979年 LAエンジェルス二期生入塾
1980年 全日本代表選出
1981年 日立ベルフィーユ入団
1984年 ロサンゼルスオリンピック出場
1988年 ソウルオリンピック出場
1992年 バルセロナオリンピック出場
1996年 日立ベルフィーユ アシスタントコーチ就任
2005年 全日本バレーボール協会強化委員会(~2006年)
2008年 イタリア・セリエA ヴィチェンツァ アシスタントコーチ就任
2009年 イタリア・セリエA ノヴァラ アシスタントコーチ就任
2011年 全日本女子バレーボールユースチーム コーチ就任
2012年 久光製薬スプリングス 監督就任
2016年 久光製薬スプリングス 総監督就任
2017年 全日本女子バレーボール 監督就任
主な成績【現役】
1981年 第15回日本リーグ 新人賞受賞
1982年 第16回日本リーグ ベスト6
1983年 第17回日本リーグ ベスト6
1984年 ロサンゼルスオリンピック 銅メダル
1984年 第18回日本リーグ 最高殊勲選手賞、ベスト6
1985年 第19回日本リーグ 最高殊勲選手賞、ベスト6
1988年 ソウルオリンピック 4位入賞
1989年 ワールドカップ ベストセッター賞受賞
1990年 第24回日本リーグ 最高殊勲選手賞、ベスト6
1991年 第25回日本リーグ 最高殊勲選手賞、ベスト6
1992年 バルセロナオリンピック 5位入賞
2007年 プレミアリーグ Vリーグ栄誉賞
バレーボール女子日本代表監督に就任した
際は、日本バレーボール協会理事会にて
満場一致での選出だったようです。
とにかく、現役から指導者となっても
スゴイづくしの中田久美さんですね(^^)/
そのプライベートはというと?
2.中田久美の離婚や、再婚した夫や子は?
中田久美さんが結婚しているのかを
調べてみたところ、どうやらバツイチ
らしいというコトが判明!
一度現役を引退された、29歳の時に
林隆夫さんという方と、ご結婚を
されているようでした。
二人の間にはお子さんは授からず
夫婦間のすれ違いで離婚をしている
とのコトで、現在は独身のようです。
調べていると離婚理由もいろいろと
言われておりまして…
中田久美さんは、一度引退をしたときに
セミヌード写真集を出しているらしくて
それが原因なんじゃないかというウワサも?
ですが、後のインタビューでは夫の親と
折り合えずに、3年後に離婚したんだと
真相を告白しておられました。
もともとが完璧にやりたいタイプで
「でも結婚に完璧を求めてちゃいけなかった」
結局、自分で行き詰まったと語っています。
う~ん。これに関しては、なんともやはり
夫婦の数だけいろいろと事情があると
思いますので、これくらいにしておきましょう。
3.中田久美の再起不能の重傷事故って?
中田久美さんは、まだ若い21歳で
右膝前十字じん帯を断裂した時に
再起不能とまでいわれた大けがで
地獄を見ていました。
1986年9月、世界選手権で主将を務めた
スグ後の11月のコトだったそうです。
そして、辛いリハビリを乗り越えて
10ヶ月後に試合に復帰しますが
1988年2月、再び右膝を手術。
しかし右膝は完治せず、試合の時は
痛み止めの薬を手放せなくなって
しまったという中田久美さん。
“仕事”をしたくてもできない一方で
重くなる役割と、立ち止まざるを
得ない時の流れの中では、自分で
考えるということを学んだそうです。
また、中田久美さんは41歳の時に父が
亡くなっていて、これが指導者として
監督への道を歩む転機となったそうです。
末期がんであっけなく逝った父が
微笑みながら残した言葉は
「人生に悔いはない」だったとか…
自分だったらそう言えるだろうか―。
「こんな生き方じゃダメだ」
魂が揺さぶられたと語っています。
たぶん自分の中で答えは出ていて
「バレー界に戻る」と…。
ただ人生を懸けてきたものだからこそ
戻るのも慎重で、いいかげんな気持ち
では戻れないと考えたそうです。
そして、単身でイタリアのプロリーグ
セリエAのチームの門戸をたたき
コーチ修業を始めたそうです。
中田久美さんが当時自分と向き合うには
言葉もわからず、頼る人のいない環境が
どうしても必要だったんだそうです。
どこをとっても、なんともストイックで
熱血指導というより、愛にあふれる指導者
素敵な監督だと思いますよね~
4.放送事故とされた伝説の熱血指導の動画!
今回の放送でも、以下のように
中田久美さんの熱血指導は徹底して
スパルタ的な見え方をしてしまいます。
2018年4月の代表合宿。まだ薄暗い体育館に中田は毎朝一番にやってきた。「誰がどの順番で体育館に入ってくるか、全部見たくて」。天才セッターとしての中田を支えた“観察眼”は健在。選手がやってくると一挙手一投足をつぶさに観察し、些細な変化を読み取る。そして、選手に「なんで?」と問いかける。やらされた練習をしている限り、成長はたかが知れていると考えるからだ。「答えを人に求めるんじゃなくて、自分で答えを探してもらいたい。指示を待ってる選手はケンカできないです」。
「目がダメなんだよ!顔が、表情が」
「できないっていうところから始めてるじゃん!」練習中、中田は幾度となく厳しい言葉を選手に投げかけた。そのたびに体育館が凍り付く。まさに、“鬼の指揮官”。だが取材を進めると意外な一面が見えてきた。誕生日には監督自らケーキでお祝い。行き詰まっている選手がいれば、何気なく声をかける。木村沙織の後継者と期待される20歳の黒後愛は、中田を“久美さん”と呼び、こう語った。「監督っぽくない。選手に寄り添ってくれて一緒に戦ってくれる」。
中田が率いて以来、日本代表は強豪・ブラジルに勝利するなど一定の成果を挙げてきた。だが2018年5月に開幕したネーションズリーグで失速する。世界のトップ3に割って入るには絶対に勝たなければならなかったオランダにまさかのストレート負け。「2年目のスランプ」と中田は口にした。いかにチームを立て直し、2020年への道筋を描き直すか。“苦境に立たされたとき、その人の真価が問われる”。そう語っていた指揮官・中田久美の、半年にわたる知られざる戦いを明らかにする。
今、まさに戦いの真っ最中の
全日女子バレーの選手たちですが…
2004年に全日本女子がアテネオリンピックの
出場権を獲得した時に選手と共に
「すぽると!」の生放送に出演。
その直前に打ち上げがあったそうで
選手全員酔いがさめないままだったと
大はしゃぎで、選手の声で司会の声が
聞き取りにくくなるほどでした…
そんな中、中田久美さんが選手に
「ちゃんとまじめにやろうね」と注意。
それでことが収まったかと思いきや
番組の画面が試合映像のVTRに
切り替わった瞬間、中田久美さんは
「てめえら、この野郎!!!」
という言葉で選手を一括し、それが
全国放送で流れてしまったんですね~
CM明けの選手たちは打って変わって
おとなしくなったようで、その時の
エピソードが、ジャンクスポーツで
紹介されていました(^^)/
この事で中田久美さんは、フジテレビへの
出入り禁止を覚悟する程だったと語って
いますが、後日、日本バレーボール協会の
スタッフからは…
「色々ご指導有難う御座いました」と
感謝の言葉を貰ったというコトでしたよ♪
007ミッション報告
2020年東京オリンピックに向けて
かなりの期待がかかった監督の
天才バレー少女の中田久美さん!
これからもどんどんスゴイ結果を
残して伝説をつくって行くんだと
期待されますね(^^)/
半年間の密着がみられる今回の放送は
とっても楽しみで保存版ですね♪
最後までお読みいただきまして
ありがとうございます(^^)/