萩原慎一郎(歌人)非正規の学歴と経歴は?死因や恋愛は?作品集と母の手記も!【クローズアップ現代】

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萩原慎一郎さんが

【クローズアップ現代】

で特集されます。

将来を期待された若手歌人の

学歴と経歴は?

32歳の若さでこの世を去った

死因や恋愛は?

非正規として働きながら詠んだ

短歌に静かな共感が!

その作品母の手記など

調べてみました。

こんにちは、サイト管理人の007です。

今回注目したのは、この番組♪

2018年10月16日(火)22:00~放送

クローズアップ現代+」萩原慎一郎特集!

番組放送内容はコチラ(^^)/

いじめ 非正規 恋… 歌に託した人生 ~ある歌集・異例のヒット~

「サラダ記念日」の大ブームから30年、平成の時代をうたった一冊の短歌集がいま大きな話題を集めている。作者は萩原慎一郎さん、去年32歳で自ら命を絶った。学生時代のいじめ、その後の精神的不調そして非正規として働いた人生・・・。過酷な日々とともに夢や恋も歌にした。発行部数は通常の歌集の200倍に達している。自らも感銘を受けたという又吉直樹さんとともに、萩原さんが残そうとしたメッセージに迫る。

引用:クローズアップ現代

今回も興味い放送になりそうな

予感がしますが、ともあれそこは

オンエアを要チェックです!

というコトで、007ミッション開始!

萩原慎一郎(歌人)非正規の

学歴と経歴は?

死因や恋愛は?

作品集と母の手記も!

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【目 次】

1.萩原慎一郎の経歴(プロフィール)

2.萩原慎一郎の受けたイジメや恋愛は?

3.萩原慎一郎の作品の背景や母の手記

4.萩原慎一郎の輝かしい受賞歴

1.萩原慎一郎の経歴(プロフィール)

名前:萩原慎一郎(はぎはら しんいちろう)

生年月日:1984年9月16日

出身:東京都杉並区荻窪

死没:2017年6月8日(32歳没)

職業:歌人

学歴:武蔵中学校・高等学校卒業

最終学歴:早稲田大学卒業

活動ジャンル:短歌、俳句、詩

萩原慎一郎さんは、1984年に

東京都杉並区荻窪で生まれますが

父親の仕事で、京都府長岡京市や

イギリス統治時代の香港などを

転々とした後、東京都小平市に

移り住まれました。

1997年、私立中高一貫校であった

武蔵中学校に入学するが、その中高生

時代にいじめを受けつらい経験の中…

偶然近所の書店にサイン会で来ていた

俵万智さんに触発され、高2の秋から

短歌を作り始めたそうです。

当時は、俵万智さんの短歌を読んで

「これなら自分にも書ける」

“勘違い”したんだそうです(^^)/

その後、10代の頃から様々な短歌の

コンクールに応募し、全日本短歌大会

日本歌人クラブ賞を始め多くの賞を受賞。

早稲田大学卒業後は、アルバイトや

契約社員として勤めながら短歌の創作を

続け、毎年のようにいろんな賞を受賞。

(受賞歴は詳しく後述しています)

2017年には萩原慎一郎さんの歌集

『滑走路』の出版が決まり、5月には

執筆が終わりあとがきの原稿を

編集部に提出していました。

しかし、長期間いじめを受けてきた

ことに起因する精神的な不調が続いて

ずっと苦しんでいたというコトで…

萩原慎一郎さんは、2017年6月8日に

自ら死を選ぶという選択をしてしまい

32歳の若さで亡くなられました。

その後、歌集はKADOKAWAにより

引き続き刊行に向け準備されていき

2017年12月26日に『滑走路』

無事発売された、本の帯には短歌を

始めるきっかけとなった俵万智さんの

推薦文が寄せられました。

『滑走路』角川書店(2017年12月26日発売)

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2.萩原慎一郎の受けたイジメや恋愛は?

自分の気持ちや考えたことを

歌に乗せて表現する短歌というのは

「五・七・五・七・七の5句31音」

この短い歌に、歌人の魂とも言うべき

思いが込められているんですね。

萩原慎一郎さんは、希望していた

第1志望の中高一貫校に入学したが

いじめは中1から始まったそうです。

ご両親によると、所属する野球部の

監督から怒鳴られておどおどする様子を

複数の部員にからかわれたとのコトで…。

そのコトがきっかけで、差別的な言葉で

呼ばれたり、ちぎったミカンの皮を

古語辞典の間に入れられるなどの

過去を、のちに振り返って詠んでいます。

“屑籠(くずかご)に入れられていし鞄(かばん)があればすぐにわかりき僕のものだと”

また、親しい友人もいたんだそうですが

その友人は周囲から「何であんなやつと

付き合っているの」と言われて

あっさりと離れていったんだとか…。

あまりのいじめに耐えきれなくなった

萩原慎一郎さんは、やがて野球部を退部

部屋で読書に励むようになり、高校2年で

短歌に出会い、それから32歳になるまでの

15年間、ずっと短歌を詠み続けました。

なんとか辛い学生時代を抜け出して

通信制の大学を卒業した後、27歳で

非正規の仕事に就いた萩原慎一郎さん。

しかし現実は厳しく、待っていたのは

多くのメディアが報じているように

非正規雇用の苦難だったんだそうです。

非正規の現状は辛く苦しいものがあり

正社員との間にある途方もない格差

差別のような扱いの日々…

“コピー用紙補充しながらこのままで終わるわけにはいかぬ人生”

“非正規という受け入れがたき現状を受け入れながら生きているのだ” 

萩原慎一郎さんが、自らの望む仕事が

できない悔しさがにじんだ短歌には

しばし心が凍りました…。

また、こんな厳しい状況に直面しながら

萩原慎一郎さんは自らのについても

歌にして残しておられました。

“かっこよくなりたい きみに愛されるようになりたい だから歌詠む”

“作業室にてふたりなり 仕事とは 関係のない話がしたい”

しかし、そのが実ることはなく終わり

死の半年ほど前から、仕事も休みがちに

なっていたという萩原慎一郎さん。

当時を振り返って、母親はこんな話を

したと語っておられました。

『やはり辛い。普通だったら結婚とか、子どもとか言う年齢だよ。
新卒の人たちが研修中で皆で昼食をとっていたり、赤ちゃんが生まれて連れてきた人を見て落ち込んじゃった。』

私が『これから歌集も出るし、楽しみがいっぱいあるじゃない。賞も取るんでしょ。慎ちゃんは頑張っているよ。これから良いことがいっぱいあるよ。』

と話し合うと『そうだね、ありがとう』と落ち着く感じだった。

2017年6月8日。

萩原慎一郎さんは、自ら命を絶ちました。

亡くなったその日も、短歌を作っていました。

“あらゆる悲劇咀嚼しながら生きてきた いつかしあわせになると信じて”

どれだけ苦しくても、それを言葉に変え

歌い続けてきた萩原慎一郎さんですが

どのような心境が、最終的に本人を

追い詰めたのかはわかりませんが…

“癒えることなきその傷が癒えるまで癒えるその日を信じて生きよ”

“きみのため用意されたる滑走路きみは翼を手にすればいい”

若き歌人が遺した短歌は、多くの人に

共感と希望を授けて話題になっています。

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3.萩原慎一郎の作品の背景や母の手記

“頭を下げて頭を下げて牛丼を 食べて頭を下げて暮れゆく”

“シュレッダーのごみ捨てにゆく シュレッダーの ごみは誰かが捨てねばならず”

2年前、NHKの全国短歌大会で

表彰された萩原慎一郎さんは、将来を

期待された若手歌人でした。

“今日も雑務で明日も雑務だろうけど 朝になったら出かけてゆくよ”

“非正規の友よ、負けるな僕はただ 書類の整理ばかりしている”

2018年5月31日に放送された、NHKの

ニュースウォッチ9で特集されていた

萩原慎一郎さんの母親の手記について…

歌が紡がれた背景には、どのような人生

あったのか、よく理解できるのでここで

ご紹介したいと思います。

萩原慎一郎さんの母の手記

「慎一郎は、中学受験で第一志望校に合格して、部活は大好きな野球部に入った。

しかし、監督から怒鳴られ、おどおどして萎縮している様子を真似して度々からかわれた。

野球部が終わると、必ず通学カバンがゴミ箱、掃除用具入れ、トイレ等に放置された。

『生きている価値がない』『顔が気持ち悪い』というような暴言や暴力が続いた。」

萩原慎一郎さんの部屋は、今でも

当時のまま残されているんだそうです。

高校時代にいじめで野球部の退部を

余儀なくされた後、萩原慎一郎さんは

この部屋で読書に没頭するようになります。

萩原慎一郎さんの母の手記

「そのころ短歌に出会った。
立川市の書店で俵万智さんのサイン会。
それから短歌雑誌の投稿を始めた。」

“現実に食われてしまいし夢もあり グローブ捨てて鉛筆握る”

“ローランドゴリラが胸を叩きたり 動物園の檻の絶叫”

高校卒業後は、いじめの後遺症

苦しんで、精神科医に通い続けた

という萩原慎一郎さん。

大勢の前に出ることができなくなり

通信制の大学を卒業した後、27歳

の時に非正規の仕事に就きました。

萩原慎一郎さんの母の手記

「仕事は事務センター所属で、コピー用紙の交換、シュレッダー、広報紙の発送の手伝い、資料の整理などだった。
仕事は一生懸命していたが、時々帰宅後『僕も病気にならなければ』と辛くなることもあった。
非正規雇用であり、いじめが原因の精神的な不調のために、自分が望んでいた仕事につけない悔しさは、時々話していた。」

“夜明けとはぼくにとっては残酷だ 朝になったら下っ端だから”

亡くなる前から準備を進めて、去年の

12月に出版された、歌集『滑走路』

このタイトルへ込めた想いとは…

「今いるところから少しでも高く飛び立ちたい」

ということでしたす。

今は、心よりご冥福をお祈りいたします。

合掌

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4.萩原慎一郎の輝かしい受賞歴

萩原慎一郎さんは、本当に若くして

毎年のように有名な賞を総なめと

いっていいくらいの受賞歴です!

角川全国短歌大賞・角川全国俳句大賞

2013年 俳句大賞 東京都賞受賞
短歌大賞 与謝野晶子短歌賞姉妹賞、東京都賞、特選受賞

2014年 短歌大賞 準賞、特選、秀逸受賞

2015年 短歌大賞 秀逸受賞

2016年 短歌大賞 佳作受賞

2017年 短歌大賞 題詠準賞、東京新聞賞、秀逸受賞

全日本短歌大会
2004年 学生の部B 佳作賞受賞
2005年 日本歌人クラブ賞受賞
2011年 優良賞受賞
2013年 優良賞受賞
2015年 毎日新聞社賞受賞
2016年 日本歌人クラブ賞受賞

NHK全国短歌大会

2014年 第1回近藤芳美賞 選者賞『滑走路』受賞
2016年 特選(馬場あき子選)受賞
2017年 第4回近藤芳美賞 選者賞『プラトンの書』受賞

10代で短歌を始めた萩原慎一郎さんは

さまざまな賞を受賞するとともに

未来短歌会などの結社やネット歌会

にも参加されていました。

また、同じ早稲田大学を卒業した

三枝昂之さんが主宰を務めている

「短歌結社りとむ短歌会」に所属。

短歌を通じた仲間も、たくさんいた

というコトですので早すぎる死は

本当に残念でなりません…。

007ミッション報告

萩原慎一郎さんは、短歌を愛し将来を

期待されていた32歳の男性でしたが

昨年、自身の手でこの世を去りました

学生時代のいじめによる心の傷、非正規

という苦悩、日常と恋について前向きで

明るくて、優しすぎるほどの純粋さの歌

昨年出版された初めての歌集「滑走路」には

つらさだけでなく、人への優しさがこもった

作品がたくさん収められています

最後までお読みいただきまして

ありがとうございます(^^)/

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