ボニー&クライドはアメリカの
犯罪史に残る「英雄的」な
殺人犯で銀行強盗のカップル。
それぞれ24歳と25歳で短い
生涯を終えた二人の出会いと
事件のあらましがヤバい!
壮絶な最期と実際の動画を発見!
死んだ場所や銃弾の数は?
を調査してみました♪
こんにちは、サイト管理人の007です♪
5月28日の夜7時から「世界が騒然!
本当にあった(秘)衝撃ファイル」
という番組が放送されるのですが…。
ここで「現代のボニー&クライド」と
呼ばれた銀行強盗カップルが登場
するというコトで、元ネタを調べて
ご紹介したいと思います(^^)/
「現代のボニー&クライド」の記事は▼コチラ▼
【目 次】
1.ボニー&クライドってどんな人?
2.二人の出会いと事件のあらまし!
3.壮絶な最期と実際の動画を発見!
4.死んだ場所と銃弾の数は?
5.市民の反応や葬儀の様子は?
1.ボニー&クライドってどんな人?
(左:クライド/右:ボニー)
クライド・バロウ
テキサス州ダラス近郊のテリコ出身。
フルネームはクライド・チェストナット・
バロウ(Clyde Chestnut Barrow)。
8人兄弟の6番目の子として貧しい
農家に生まれますが、家業で多忙な
両親に代わり、姉が面倒を見ていた
そうですが、親戚に預けられるコトも
度々あったそうです。
クライドは、子供の頃から動物虐待を
行っているところを、近所の住民に
目撃されるなど、粗暴なことで有名で
学校嫌いで、姉と一緒によくさぼって
遊んでいたようで、躾らしい躾は受けず
成長し、17歳の頃には、兄も所属する
ギャングに入っています。
クライドが初めて犯したという犯罪は
クリスマスの七面鳥泥棒で、その後
自動車の窃盗でも逮捕されています。
しかし、家族からは警察の厄介に
なったことを非難されることも無く
むしろ擁護する態度をとられます。
そのためクライドは、友人の家で
ボニーに出会うまでの4年間は
ダラス近辺で強盗を続けていました。
ボニー・パーカー
テキサス州ローウェナ出身でフルネームは
ボニー・エリザベス・パーカー
(Bonnie Elizabeth Parker)
両親と兄妹の5人家族で育ち、1914年
父親が死去したため、祖母の家がある
ダラス近郊のセメントシティーに引越。
セメントシティーという地域は治安が
悪く、子どもをまともに育てるのに
適した環境ではなかったそうです。
性格は、母親思いの優しい子どもで
学校の成績も良かった反面、悪戯も
よくしたというコトでした。
ボニーは、感想文で賞状を取ったり
もしましたが、一方で女の子なのに
逆上すると手がつけられなくなる
という二面性を持っていました。
高校の同級生だったレイ・ソーントンと
16歳で結婚し、18歳の頃からカフェで
ウエイトレスとして働き始めます。
この頃のボニーは活発でよく働き
貧しいお客には、会計を店の奢りに
してあげたりしたコトもあったとか…。
しかし、夫がある日、銀行強盗の
容疑で刑務所に入れられたために
離婚を考えるが、結局籍は抜かず
そのままにし、法的にはボニーと
レイとの婚姻は継続されたそうです。
1930年に彼女はクライドに出会い
彼に「危険な香り」を感じてしまい
一目惚れしてからは、死ぬまで行動を
共にすることになります。
2.二人の出会いと事件のあらまし!
ご存じのように「ボニーとクライド」は
1930年代前半に、アメリカ中西部で
銀行強盗や殺人を繰り返した実在の人物。
何人もの命を奪った、凶悪な犯罪者で
ありながら、世論の中では英雄視すら
されていたのはいったいなぜなのか?
2人が出会った直後に、実はクライドは
逮捕され、刑務所に収監されています。
2年の獄中生活の後に保釈され、その後
更生することもなく、新しい仲間と共に
再び犯罪に手を染めていきます。
事件を起こしては、逃走を繰り返し
ボニーに会う為にダラスに舞い戻り
再会してからも強盗と殺人は続き…
いつしかクライドは、犯罪集団
「バロウ・ギャング」のリーダー
となっていきました。
メンバーには、クライドの兄と
その妻や、他にも同じような犯罪を
繰り返して来た者もいたそうです。
バロウ・ギャングのメンバーは
何度か入れ替わっていますが
ボニーとクライドは常に一緒でした。
以降も、犯行は続けられ、強盗に
入られた商店の主人や、追跡する
保安官、警察官が次々と犠牲に…。
彼らの強盗の手口は、クライドが
先に店に入って金を奪い、ボニーが
逃走用の車で待機するというもの。
逃走経路を予め計画しておき、州境を
越えてしまえば、当時、犯罪者を追跡
できる範囲は州内に限られていたので
警察は州を越えられると、手出しが
できなかったからでした。
また、2人は逃走用にフォード社の
乗用車「フォードV8」を盗んで
多用しています。
この車は、強力なV型8気筒エンジン
搭載の当時の最新モデルで、大衆車の
中では最高の速度と加速力でした。
3.壮絶な最期と実際の動画を発見!
そもそもボニーとクライドの二人は
自分たちが、長くは生きられないと
悟っていたそうです。
運命の日となる1934年5月23日を
迎える前に書いたといわれる、詩…
最後の1行はこのように書かれています。
「ボニーとクライドを待ち受けるのは、死」
というコトで、二人が警官の銃弾を
浴びて息絶えたときも、ボニーの
手にはまだ、サンドウィッチが
握られていたままだったそうです。
凶悪犯としてボニーとクライド達の
犯行を、警察は見過ごすはずもなく
常に逃げ回る日々が続いていました。
そんなとき、ボニーは逃走中の
自動車事故で火傷を負い、警察
との銃撃戦で、クライドと兄は
重傷を負ってしまいます。
他の仲間も警察に捕まり、兄は
傷が元で、逃亡中に死亡と、バロウ・
ギャングのメンバーも次々と逮捕。
仲間を失いながらも逃げ続けていた
ボニーとクライドでしたが、ついに
1934年5月23日、ルイジアナ州の
ビヤンヴィル郡アーケディアで
寂れた道路を、フォードV8に乗って
走行中、行方の情報を掴んで、先に
待ち伏せしていた、テキサスレンジャー
4名と、ルイジアナ州警察の警官2名に
機関銃で150発もの連射を受け死亡。
銃撃で蜂の巣にされたフォードV8と
クライドが最後に着ていたシャツは
ネヴァダ州プリムにある観光施設
プリム・ヴァレー・リゾートで
2009年から公開展示されています。
射殺後の様子は、この映像で観ることができます。
車内からは軍の兵器庫からの盗品である
ブローニングM1918自動小銃をはじめ
ショットガン、大型拳銃など、殺傷力の
高い強力な銃器類が多数発見されました。
本当に凶悪な殺人犯であり、銀行強盗を
繰り返した世界最悪のカップルの最後は
壮絶なものとなりました。
しかし、残虐な行為を繰り返してきた
ボニーとクライドでしたが、意外にも
彼等を支持した者は多かったそうです。
犯罪者となった彼等を家族は咎めず
逃亡中に匿った者も、起訴された
だけでも「23人」に上ったそうで…。
そんな背景もありボニーとクライドは
何かあるたびに、家族の暮らすダラスに
戻ってきていました。
また、大衆の間でも特にお金持ちに
狙いを定め、貧乏人からは巻き上げない
「義賊的な姿勢」が共感を得たんだとか…。
4.死んだ場所と銃弾の数は?
警察官たちが、ボニーとクライドを
待ち伏せていたのは、ルイジアナ州
ビエンビル郡のとある田舎道でした。
警官隊はあらかじめバロウ・ギャングの
メンバーの親戚を説得し、トラックが
故障したふりをして道路脇に立たせ…。
そこへやってきたボニーとクライドが
彼を手助けしようとして、車を停車
させた瞬間、一斉に警官隊が発砲!
クライドはその場で即死していますが
ボニーは悲鳴をあげ、車がゆっくり
動きだすと、警官隊は一斉射撃を開始。
つまり警官たちは、最初から二人を
射殺するつもりでいたでしょうし
ボニーとクライドは、発砲する間も
なかったコトになります。
警官隊が銃撃を続けた後、やっと車が
停止すると、ひとりの警官はさらに
ボニーを狙ってフロントガラス越しに
銃を撃ちながら、車に近づいていった
そうです。(なんか気分悪くなってきた…)
公式記録によると、検死官が確認した
銃創の数は、クライドに17発、ボニーに
26発というすさまじい数だったそうです。
そのため、二人の遺体はかなりの損傷を
受けており、葬儀社は防腐処理を施すのに
相当苦労したようです。
5.市民の反応や葬儀の様子は?
ボニーとクライド射殺のその一報が
伝わるやいなや、二人が射殺された
現場には大勢の野次馬が押し寄せます。
記念の品を手に入れたい人々は
ポケットナイフを手に、周辺の
木々に群がったそうです。
あわよくば、木に命中した銃弾を
見つけて取り出してやろうという
コトだったようですが…。
実際、ボニーの髪の毛や、着ていた
ドレスの一部なども切り取られて
中には、クライドの耳を切り取ろう
とする人までいたそうです。
最終的に警察は、二人の遺体を
乗せたまま、銃弾を浴びた車を
近くの町まで牽引しました。
これにも「悪名高いカップルを一目
見てみたい」という人々が、町の
周辺をうろつきまわり、その数は
およそ1万6000人にも上ったとも
推定されています。
ボニーとクライドの遺体は、葬儀
のためダラスへ運ばれましたが
二人の遺族は、それを大衆環視の
中で行うという失敗を犯します。
クライドの場合、一目でいいから
遺体を見たいという人々が、周辺に
1万人も集まってきました。
ボニーの葬儀に押しかけた人の数は
さらに多く、母親によればその数は
およそ2万人に上ったようです。
どちらの葬儀もたいへんな人の数で
棺を運ぶ役目の人たちは、人混みを
かき分けながら、墓地まで移動
しなければならなかったそうです。
007ミッション報告
ボニーとクライドといえば一度は
みなさまも耳にしたことのある
言葉ではないでしょうか?
「現代のボニー&クライド」の記事は▼コチラ▼
「俺たちに明日はない」という
映画でも有名なアメリカの大悪党
ボニー・パーカーとクライド・
バロウの銀行強盗カップルです。
ボニーは死後「クライドと二人
仲良く並んで埋葬されたい」という
希望を綴っていましたが、母親が
それを許さず実現はしませんでした。
クライドは、ダラスの霊園で兄の隣に
葬られ、墓碑銘には「この世を去っても
忘れ去られることはない」という言葉が
刻まれているそうです。
最後までお読みいただきまして
ありがとうございます(^^)/