警察庁長官狙撃事件!国松長官の今現在は?真犯人中村泰とは?原刑事と事件の真相!

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今夜のNHKスペシャルドラマ

「未解決事件」国松長官狙撃事件!

警察庁のトップが狙撃されるという

前代未聞の事件ですが、国松孝次

今現在どうしている?

真犯人の中村泰とは一体何者なのか?

原雄一刑事が暴いた事件の真相とは?

気になったので、調べてみました。

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【目 次】

1.国松孝次の経歴と今現在どうしている?

2.真犯人の中村泰とは一体何者なのか?

3.国松長官狙撃事件のあらまし

4.原雄一刑事が暴いた事件の真相とは?

1.国松孝次の経歴と今現在どうしている?

名前:國松孝次(くにまつ・たかじ)

生年月日:1937年6月28日

現年齢:81歳(2018年9月現在)

出身地:静岡県浜松市

学歴:静岡県立浜松西高等学校

東京大学法学部第2類

國松孝次さんは、1937年生まれで

現在は81歳。静岡県浜松市のご出身で

学歴は前述の通り超がつくエリート!

前静岡県知事石川嘉延さん、トヨタ

自動車会長張富士夫さんとは、東大で

共に剣道部に所属しており、なんと

國松孝次さんは、剣道部の部長でした。

ご学友も、そうそうたるメンツで

なにやら文武両道という言葉が

ピッタリきそうな素敵な殿方です♪

1961年に警察庁へ入庁。そして

大分県と兵庫県警察本部長、警察庁

刑事局長などを歴任し、1994年には

警察庁長官となられています。

國松孝次さんは入庁以来、警察官僚

として将来を嘱望され「國松は長官」

早い時期から警察庁長官就任を有力視

されていたそうです。

本富士警察署長時代には、赤軍派による

本富士警察署襲撃事件が起こり署長室に

放火されたが、國松孝次さんは隣の部屋

にいて無事でした。

また、國松孝次さんが警視庁広報課長時代に

発生したあさま山荘事件では、広報担当幕僚

として長野県警に派遣され、取材陣の対応に

あたられ、一躍有名人になりました。

1994年、中学、高校、大学の先輩にあたる

城内康光さんの後任として警察庁長官に

就任され、在任中にはオウム真理教事件

といった難局を迎えました。

1995年3月、地下鉄サリン事件など一連の

オウム真理教事件捜査の陣頭指揮を取って

いた國松孝次さんは、自宅前で何者かに

銃撃され、一時は危篤状態となる瀕死の

重傷を負ったが、回復し2ヶ月半後に復帰

病床から復帰した後の1996年2月には

「被害者対策要綱」を策定し、警察組織

全体で本格的な被害者対策に乗り出した。

國松孝次さんは、置き去りにされてきた

犯罪被害者を取り巻く環境が飛躍的に

改善されることになる出発点となります。

オウム真理教事件が起こったことで

「日本の安全神話の崩壊」などと報道

された時期、体感治安という言葉を

口癖のように語り、この言葉が話題に…。

また、國松孝次さんは、現在のDNA型

鑑定を犯罪捜査に導入することにも

尽力したという、本当にスゴイ人です!

1997年の退官以降は、1998年に特殊法人

自動車安全運転センター理事長(-1999年)

1999年に在スイス特命全権大使(-2002年)

今現在は、宮内庁参与、NPO救急ヘリ病院

ネットワーク理事長、損保ジャパン顧問

一般財団法人未来を創る財団会長

日興コーディアル証券特別顧問・社外取締役

丸紅社外取締役、全日本剣道連盟副会長・顧問

財団法人犯罪被害救援基金常務理事

日本郵船監査役などを務めておられます。

やはり、優秀でひとかたならぬ人物には

退官後も、天下りなどではなく、いろいろ

重要なお仕事が舞い込むことがわかります。

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2.真犯人の中村泰とは一体何者なのか?

名前:中村泰(なかむら・ひろし)

生まれ年:1930年

現年齢:88歳

出身地:東京都

本籍地:茨城県

出身高校:旧制水戸高等学校

出身大学:東京大学(2年で中退)

中村泰受刑者は、母親については不明

でしたが、父親は南満州鉄道の職員

だったそうです。

それで、父親の仕事の関係により

幼い頃を中国の大連で過ごして

日本に帰国したのは1940年。

帰国してからは茨城県に住むことになり

幼い頃から頭がよく、学生時代は周り

から秀才と呼ばれていました。

そして周りの期待に応え、東京大学

入学し、そのままエリートコースを

辿るのかと思いきや、東京大学在学中

参加した左翼運動によって人生が

狂い始めてしまいます。

東京大学を卒業することなく中退。

以降は、左翼運動の活動資金などを

盗みなどでまかなっていたようです。

中村泰受刑者が関与した事件というのは

國松長官狙撃事件だけではなく、過去に

起こった大きな事件に何度も関与。

そのたびに逮捕され実刑を受けて

人生の大半は刑務所の中で暮らして

いるといっていいかもしれません。

20年間もの獄中生活で、出所後は

父親の遺産をもとに細々と生計を

立てていたということでした。

現在の年齢は88歳。かなりの高齢に

なりますが、現在は岐阜刑務所で

無期懲役刑にて服役中です。

年齢的にも高齢なんですが、健康面で

現在問題を抱えているようです。

2014年に直腸癌の手術を受けたそうで

術後は抗癌剤治療をしていました。

そんな中、2017年にパーキンソン病

なってしまい、回復の見込みはない

ようだそうです。

すでに自分はもう長くないと悟っている

ような感じで、終活のようなことも

獄中でしているようで…。

例えば、自分が所有する本を手放さなくては

いけなくなったということで、それらの

書籍を引き受けてくれと人に頼んだり

しているようでした。

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3.国松長官狙撃事件のあらまし

1995年3月30日、第16代警察庁長官

國松孝次さんが狙撃され、3発の銃弾を

浴びた事件が起こった。

犯人は、マンションの通用口から秘書と

共に出てきた長官に狙いを定め、正確に

射抜いていたという…。

2010年3月30日に、この事件は

時効が成立し、現在も未解決事件…

警察は威信をかけた大捜査を展開。 彼らが

真っ先に疑いの目を向けたのは、麻原彰晃

(本名・松本智津夫)を教祖とする宗教団体

『オウム真理教』だった。

なぜなら、1995年3月20日長官狙撃事件の

10日前に『地下鉄サリン事件』が発生。

その2日後、教団への強制捜査に踏み切った

人物こそ、当時の警察庁長官、國松孝次さん

だったからです。

しかも、襲撃された1時間後、テレビ局に

電話があり「オウムに対する捜査を

やめなければ、他にも怪我をする

人物が出る」との脅迫が告げられていた。

3発の銃弾を浴びた国松長官は、病院に

救急搬送され、成人男性の全血液量の

2倍に相当する10リットルの輸血が

行われた結果、奇跡的に一命を取り留めた。

徹底した現場検証の結果、犯人のものと

思われる遺留品が発見される。

1つは北朝鮮で製造された『人民軍記章』

もう1つは『韓国のウォン硬貨』

また、使用された銃は、長い銃身が

特徴のコルト社製のパイソンである

可能性が高いことが判明した。

犯人像が徐々に絞り込まれていく中で

公安部は有力な容疑者にたどり着く

ことができず…事件から1年半が経過。

捜査が行き詰まったと思われた時

マスコミに匿名の告発文が送られ

犯人は身内である公安の現職警察官。

その内容は『国松警察庁長官狙撃事件の

犯人は警察庁警察官(オーム信者)

既に犯行を自供している。しかし

警察庁と警察庁最高幹部の命令により

捜査は凍結され隠蔽されている。』

告発文によりその存在が明らかとなった

K巡査長とは、いったいどんな人物なのか?

事件の8年前、専門学校を卒業して

警視庁の警察官に採用された彼は翌年

オウム真理教へ入信。

地下鉄サリン事件など、様々な事件の

捜査にあたる一方で、捜査状況を

教団関係者へ漏らしていたという。

しかし、決定的証拠は得られず

捜査は完全に行き詰まっていた。

さらに実は、K巡査長以外にもう1人

容疑者がいた。

長官狙撃事件から7年後、名古屋の

銀行で現金輸送車襲撃事件が発生。

犯人はその場で取り押さえられたが

逮捕当初、男は何1つ話そうとは

しなかった。

また、大阪でも現金輸送車を襲撃

していたが、どちらの事件でも

躊躇なく発砲している。

そのため、氏名はおろか年齢、職業

住所など全てが不明だったのだが

指紋を照合すると、この男には

前科があることが分かった。

男の名は、中村泰当時72歳。

遡ること46年、車の中で仮眠をとって

いた中村泰に 職務質問をしようとした

警察官に向かっていきなり発砲、殺害。

その後、20年近くを刑務所で過ごし

出所。 事情を聞こうにも一向に

口を開く気配はなかった。

だが、事件の時効まであと2年と

迫ったある時、ついに犯行を認める

しかし、彼は逮捕されることはなかった…

国松長官狙撃事件、導入された

捜査員の数、のべ50万人以上

みな地道な捜査を行った。

しかし、解決すべき事件を解決

できなかったのは、まぎれもない

事実である。

4.原雄一刑事が暴いた事件の真相とは?

原雄一さんは、中央大学法学部を

卒業後、昭和55年に警視庁入庁。

機動捜査隊や捜査第一課で

数々の刑事事件に携わった。

滝野川署署長、第九方面本部

副本部長を務め、平成28年

9月末に退官されました。

2018年3月下旬に発売された著書

『宿命 警察庁長官狙撃事件 

捜査第一課元刑事の23年』

原雄一さんは、捜査の内情を最も

よく知る立場から、犯行の詳細と

時効成立の“真相”を明かしている。

最後までお読みいただきまして

ありがとうございます(^^)/

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