村上一枝(カラ代表)マリ共和国って?移住理由と波乱万丈の過去!今現在の活動や受賞歴も!【ナゼそこに日本人】

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村上一枝(カラ代表)さんが

【世界ナゼそこに?日本人】に登場!

アフリカ奥地、危険なマリ共和国

っていったいどんな国?

高収入経歴を捨てた移住理由

波乱万丈な過去がヤバい!

今現在のカラの活動受賞歴

すごくて、なんと名誉博士号!

などご紹介します。

こんにちは、サイト管理人の007です♪

今回注目したのは、この番組…

2019年5月27日(月)21:00~放送

「世界ナゼそこに?日本人」村上一枝さん!

番組放送内容はコチラ(^^)/

超高収入捨てナゼかアフリカの危険な国で慕われる日本人女性

日本での数千万円の高収入生活を突然捨て、ナゼかアフリカ奥地の秘境の村へたった一人で渡った女性。テロリストも潜む危険なマリ共和国で、不思議な事に村人たちに非常に慕われ愛されている。とても78歳とは思えない明るい肝っ玉キャラ。彼女が歩くと大勢の村人達がその後にゾロゾロついて歩くほど。

それほど慕われるワケは、この国を変える程の彼女の偉業にあった!果たしてその偉業とは?そしてナゼ彼女は高収入を捨てマリへ?

https://www.tv-tokyo.co.jp

番組の内容は、貴重な放送になりそうな

予感がいたしますが、ともあれ、そこは

オンエアを要チェックですね!

それでは、007ミッション開始!

村上一枝(カラ代表)マリ共和国って?

移住理由と波乱万丈の経歴!

今現在の活動や受賞歴も!

この番組って、世界で活躍する

知られざる日本人を密着取材して

ナゼそこで働くのか?

ナゼそこに住み続けるのか?

という理由を、特に波瀾万丈な人生

ドラマと一緒に、深く紐解いていき

感動ストーリーが紹介されます(^^)/

007(管理人)も大好きな番組ですが

かなりの偉業を成し遂げた日本人女性!

いったい、どんなお方なのでしょう?

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【目 次】

1.村上一枝さんの経歴(プロフィール)

2.アフリカのマリ共和国って?

3.移住理由と波乱万丈の経歴!

4.今現在の活動や受賞歴も!

1.村上一枝さんの経歴(プロフィール)


出典:https://www.tv-tokyo.co.jp

名前:村上一枝(むらかみ かずえ)

生年月日:1940年2月27日

現年齢:78歳(2019年5月現在)

出身地:北海道

学歴:日本歯科大学歯学部

現職:CARA 特定非営利活動法人 カラ

(=西アフリカ農村自立協力会)代表

1940年に、北海道士別市で生まれた

村上一枝さんは、1965年3月、日本

歯科大学東京校を卒業後、歯科医師を

目指し、医局や新潟で小児歯科の研鑽を

重ねた結果、自身の医院を設立します。

1984年4月に、44歳の若さで開業した

歯科医院は順調で、1989年8月に廃業

された村上一枝さんの当時の年収は?

実に数千万円という超高収入だった…

というコトなので、羨ましい限り♪

今とは違い、まだまだ歯科医師も

開業医自体も少ない時代だったので

とんでもなくお稼ぎになったコトと

推察されますね(^^)/

歯科医師は、多い多いと聞いてると

思いますが、実際どのくらい日本に

今現在いらっしゃるのでしょうか?

現在歯科医師数は約12万人もいて

2030年には13万5000人になると

予測されているそうです。

コンビニより多いという話が、よく

言われていますが、例えば2010年だと

コンビニの1.6倍もあったようです…

実際今現在、過疎地は分かりませんが

駅前の一等地にも、住宅街の中にも

至るところに歯医者さんってある

ような気がします…。

さてそんな村上一枝さんが、開業から

わずか5年足らずで、テロリストも潜む

という危険なマリ共和国で、村人たちに

非常に慕われ愛されている?

どうして歯医者さんが、49歳にして

女性一人で、そんな危険な国へ行く

コトに? そもそもどんな国なの?

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2.アフリカのマリ共和国って?

マリ共和国は西アフリカの内陸国です。

国土は日本の3.3倍で、ニジェール河を

挟んで、サハラ沙漠が国土の2/3

サヘル地域が1/3を占めています。

そして、地球温暖化による年間降雨量の

減少と土壌の劣化等による沙漠化の現象

イナゴの異常発生の被害により、常に

飢饉に脅かされています。

マリ共和国の概要 

・首 都 バマコ市
・面 積 124万平方キロ。(日本の約3.3倍)70%をサハラ砂漠が占める。
・人 口 約1,351万人(2003年)
・人口増加率 2.4%(1991~1999年の年平均)
・宗 教 ・イスラム教70% ・アミニズム20% ・キリスト教10%
・言 語 ・各民族の言語(主にバンバラ語) ・フランス語(公用語)
・民 族 ・バンバラ族 ・プル族 ・ソンライ族 その他20民族
・気 候 雨季(平均して6月~10月) 乾季(11月~5月)
・年間平均気温 27℃~30℃
・産 業 コットンの生産(アフリカ第2位)家畜を陸路で輸出 マンゴーはフランス、サウジアラビアまで輸出。
近年は金の掘削が行われている。
・国民総所得 34億ドル(2003年のデータ、日本の約1,283分の1)
・識字率 男性26.7% 女性11.7%(2002年推計)
・就学率 初等58%、中学20%、高等教育2%
・平均寿命 男性48歳、女性50歳(2008年データ)
・乳児死亡率(1歳未満) 102人/1000人(2008年データ)
・避妊普及率 8%

またマリ共和国は、2008年の世界

国勢図会では、世界の最貧国の一つ

でもあり、そんな国へ村上一枝さんは

日本の生活を捨て、たった一人で…。

現在でも、市場経済化・構造調整政策

によって都市と農村の格差が拡大し

収入を求めての海外への出稼ぎ者が

増え続けているそうです。

市場経済化・構造調整政策は、教育や

医療等の、経済効率の悪い社会資本の

切り捨てに顕著に現れ、農村の弱者

女性・子供に厳しい生活を強いています。

村上一枝さんが渡られたときも、地方に

おいては無医村がほとんどで、診療所も

看護士や助産師も存在しない状態…。

一度病気になれば、人々は加持祈祷

頼るしかない人が多くいて、現在は毎年

増加するエイズの予防や、マラリアの

撲滅が国の重要な政策となっています。

そんな危険な国に、日本での数千万の

高収入を、突然捨ててアフリカ奥地の

秘境の村へ、たった一人で行くコトを

決めた村上一枝さんの移住理由は?

何があったのかの理由や、移住後どんな

コトがあったのかとか、007(管理人)

とても知りたくなってしまいました♪

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3.移住理由と波乱万丈の経歴!

村上一枝さんは、ご自身の歯科医院の

開業中に、たまたまマリ共和国旅行

するコトになったんだそうです。

アフリカを旅行した時に、目についた

コトは、日本とアフリカの子供たちを

取り巻く環境の違いだったそうで…。

「貧しい国の子供たちが可哀そう」

「哀れ、惨め」というコトではなく

将来を担う子供たちが、診療所もなく

薬も買ってもらえないままに、一夜

にして命を落としてしまうだとか

学校もなく、教える人も場所もなくて

着るものも食べるものさえ、充分に

与えてもらえないままに、毎日大人の

手助けをして、毎日を過ごしている…

このままでいいのだろうか?

という疑問にとらわれ、頭がいっぱいに

なってしまったという村上一枝さん。

ちょうどその時、ユニセフの医師が

予防注射をしているのを見て、個人

でもこういう医療活動ができるのか!

と思い、そのコトに驚いたそうです。

また、日本歯科大学で学んだコトから

歯科以外にも、病気の予防や衛生的

栄養的な見地から、子供がいかに

健康に育つかというコトを目的に

海外で支援をしたい!

という思いが募り、村上一枝さんは

私財をなげうってでも、マリ共和国

活動しようと一大決心をしたそうです。

1989年8月31日に開業医を廃業して

個人ボランティアとして腰を据えた

支援をするために、9月には単身

マリ共和国に渡りました。

ですが、サハラ砂漠での毎日は到底

容易ではなく、食料は週一回開かれる

市場で買いますが、粗悪品が多くて

砂嵐の後は口に含むとザラザラ…

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しかし、そんな場所でも故郷として

現地の人々は生きているんですね~。

「水も無いし、病院も無いところ

から引っ越さないの?」と聞くと

「ここは私の故郷だから離れない」

村の看護師さんと話しをした時にも

「この村は結核が多い、食料が無く

栄養が取れない、買うお金が無いし

お金を得る手段も無い。病気に

なったら死を待つだけだ」

という悲惨な状態そのものですが

しかし、これが現実というコトで

受け入れるしかなかった村上一枝さん。

日本での生活全ての面での無駄な

豊かさを改めて思い返し、言葉や

慣習、意識の違う中で考えたのが…

「人々の役に立つ支援」

「確実に生活の中に溶け込む支援」

「彼らの未来を明るくするような支援」

村上一枝さんは、日々、あせっては

いけない。自分の多くを殺してでも

現地の人々に合わせる。常に誠実で

忍耐強く本質を曲げないで進むコトが

一番大事であると考えたそうです。

ボランティアのお仕事というのは常に

犠牲を伴うのが当然で、こちらの都合

ではなく、現地の人々に合わせるコト

こそが何より重要だと仰っています。

村上一枝さんは、対症療法だけでは

人々は真に救われないので、ご自身が

これまで学んだこと、知っていること

そして出きることの範囲を充分に広げ…

現地の人々が、納得するような結果

生み出すことが使命と考えました。

そして、今では村上一枝さんが歩くと

大勢の村人たちが、その後にゾロゾロ

ついて歩くほどにもなりました(^^)/

それほど慕われるワケや、この国を

変える程の偉業とはいったい…?

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4.今現在の活動や受賞歴も!

村上一枝さんは、1989年たった一人で

マリ共和国へ、ボランティアとして渡り

日本NPO法人「サヘルの森」の植林活動に

参加し、以後マリ共和国へ移住しました。

活動当初は、そもそも支援を受け入れる

土台自体がなく、字の読み書きができない

服を買うお金もない、食べるものがない…

と生きるための根本ができていない状況

だったそうで、当初の目的を達するには

まず「自分たちで生きていけること」

支援しなければいけない状態でした。

具体的には、井戸を掘ってきれいな

水の確保、公衆衛生の普及、識字学習

裁縫や野菜園の造成による現金収入

向上など多岐にわたっていきます。

村上一枝さんは、日本の植林NGOの

ボランティアスタッフとして活動を

始めた翌年1990年には、マリ共和国

ローカルNGOに加わり農村医療を実践。

1993年からは、農村自立協力の為の

NGOを独自に設立し、以降、世界の

最貧国の一つであるマリ共和国

ために働いてきました。

また、同じ年にマリ人の助産婦と一緒に

マディナ村に住み込んで始めた活動は

現在約100ヶ村、住民約40,000人が

受益の対象となっているそうです。

その活動は「マリ共和国保健医療を

支援する会」から、1993年に「カラ=

西アフリカ農村自立協力会」と改名し

現在に至っています。

マリ共和国の首都、バマコ市に現地

事務局を設置し、マリ政府から外国籍

NGO認定を受けて活動しています。

2017年4月1日以後は「任意団体」

としてこれまで同様に、マリ共和国

農村部において支援活動を継続中。

村上一枝さんの活動の特徴は、特に

女性の視点ならではの、細やかな

心遣いに尽きるといえます。

深井戸を掘り清浄な水を確保する。

野菜や果樹を栽培し、緑を増やし

ながら現金収入を増やす。

寄生虫駆除やマラリア予防を行う。

文字を教える。改良かまどや製粉所を

設けるといった地道で繊細な活動…。

そして、重要なのが、これらの活動に

必要な人材を村の中から育成する!

というコトでした。

特に、村の女性の意識の変化は、夫や

子どもに影響を与え、男性中心だった

伝統的な村落社会に自立意識の変化を

与えているというから驚きです(^^)/

まず女性が村で収入を得るようになり

出稼ぎが減少したコトで、ご主人にも

お小遣いをあげ、家庭内暴力が減り

女性は経済力が付いて立場が良くなり

自信から自立に繋がって行くそう♪

CARA  カラ=西アフリカ農村自立協力会

東京事務所 〒177-0054 東京都練馬区 立野町7-9-101
tel:03-3929-5767

マリ現地事務所 BP E367 BAMAKO MALI
tel:223-2020-9096 fax:223-2020-3589

http://www.ongcara.org/index.html

村上一枝さんの活動【受賞歴】

1995年2月:ソロプチミスト日本財団「女性ボランティア賞」受賞
1996年9月:三基商事(株)第4回「ミキ女性大賞」受賞
1998年5月:「カラ=西アフリカ農村自立協力会」 代表に就任
2000年4月:マリ共和国クリコロ県シラコロラ郡(30村)へ支援事業開始
2001年:読売新聞社主催 第29回「医療功労賞」受賞
2002年3月:東京都から「特定非営利活動法人」として認証される
2002年6月:長岡市米百俵財団主催  第6回「米百俵賞」 受賞
2003年2月:(財)大山健康財団主催 第6回「大山健康財団賞」受賞
2003年3月:(社)倫理研修所主催  第6回「地球倫理推進賞」受賞
2006年:(財)社会貢献支援団主催 第36回「日本財団賞」
2013年2月:毎日新聞社主催第2回 「毎日地球未来賞」
2013年11月:日本ソロプチミスト財団「社会貢献賞」「千嘉代子賞」
2014年:日本住宅協会「国際住居年記念賞」
2014年:日本歯科大学名誉博士号を授与
2017年6月:全日本病院協会 第3回「山上の光賞」

村上一枝さんの、活動の原点は…

「人に頼らないで、自分の力で

健康を生きていく」がテーマの

地域密着型の「生きるため」の支援

女性の地位向上にも貢献しているという

コトで、本当に日本から遠く離れた国で

皆に慕われるスゴイお方でした(^^)/

007ミッション報告

村上一枝さんは、新潟市内で開業した

歯科医院を閉じて、48歳で人生の後半を

サヘルの人々と共に生きる決心をします。

灼熱のサハラ砂漠の南端で、自らも度々

マラリアに倒れながら、村人の明日の

幸せのために、人生を賭け支援活動を

78歳の現在も続けておられます。

私財を投じ、退路を断ってまで

マリ共和国の農村の女性を支援し

アフリカ定住のボランティアに

転身したというスゴイ女性でした!

最後までお読みいただきまして

ありがとうございます(^^)/

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