石原和幸(庭師)チェルシー世界一のスゴイ経歴!なぜ8億円借金?【アノ人が解禁告白】

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こんにちは、サイト管理人の007です。

エリザベス女王も認めたという

世界一の庭師である、石原和幸さんは

25歳のときの長崎大水害に遭い

全財産と仲間を失う

何とか這い上がったと思ったら

44歳で8億円の大借金!?

そんなコトあります~?

2018年7月3日(火)21:00~放送

「アノ人が解禁告白!「私、地獄を見ました」

~どん底からの逆転生還ストーリー~」

にゲスト出演!

もう、コレは、番宣観ててもうずうず

ということで、007ミッション開始!

石原和幸(庭師)チェルシー世界一のスゴイ経歴!

なぜ8億円借金?【アノ人が解禁告白】

エリザベス女王に「緑の魔法使い」と

言われたという、庭園をつくるその技術力!

いったい、どんなお方なのでしょう…

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【目 次】

1.石原和幸の経歴(プロフィール)

2.石原和幸が8億の借金を抱えた理由

3.チェルシー「世界一の庭師」受賞歴

1.石原和幸の経歴(プロフィール)

名前:石原和幸(いしはら・かずゆき)

生年月日:1958年

現年齢:60歳

出身地:長崎県

学歴」久留米工業大学

実は、高校時代の石原和幸さんは

モトクロスのプロレーサー

目指していたそうです。

そのため、高校卒業後、久留米工業大学

交通機械工学科に進学しています。

大学卒業後は、夢を叶えるために地元の

自動車販売会社「マツダオート長崎」に

就職し、整備士となっておられます。

ただ、整備の仕事をしつつも、石原和幸さんの

頭の片隅にずっと気になってあったのが

大学時代に知人から聞かされていた

「花屋はもうかるぞ」というコト…

社会人になって、たまたま観たという

生け花に感動して、22歳で生け花の

本流「池坊」に入門します。

23歳のときには、すでに花の魅力に

取り憑かれて「人生これで行くんだ」

その道で生きていくコトを決意!

さっそく、勤務先近くの路上販売の

生花店に「給料なしで雇ってください」

飛びこみ、お花の販売のノウハウを学習。

また、近くにあった八百屋や魚屋を

観察するコトで、商売の仕方や技も

学んでいきました。

石原和幸さんは、早くも25歳で独立。

実家の牛小屋を改造して「花風」を

オープンさせます。

ここから、花と緑に魅了され続けて

路上販売から店舗、そして庭造りを

スタートさせるコトになりました。

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2.石原和幸が8億の借金を抱えた理由

一見、順風満帆に見える石原和幸さん

独立して間もなく予期せぬ事態に!

花風」オープン早々、長崎大水害

見舞われ、全財産である軽トラックは

流され、花畑も全滅してしまいます。

しかしその後、あきらめずに生花販売の

花泉」に入社して、商店街の店舗を

1人で受け持って頑張りました。

畳一畳のスペースながら、月300万円も

売り上げをあげるようになったという

その秘訣は、お客さんのよろず相談や

頼まれ事をひたすら引き受けたコト…。

そして石原和幸さんは、29歳で再び

独立しますが、そのときは、花市場に

入る許可が得られなかったのだそうです。

仕方なく、生産者のところに直接出向き

花を仕入れていたときに、知人から

福岡県久留米市の花市場を紹介されます。

石原和幸さんは、それから毎日、長崎から

福岡まで片道4時間もかけ、車で寝泊まり

しながら仕入れに通う激務をこなしました。

そして、長崎一の繁華街「銅座」

自販機置き場など小さなスペースに

次々と出店し、2年で30店をオープン

石原和幸さんが、心に抱いていたモットーは

「花を売らずに、夢を売る」だったそう。

時には、わずか3000円の花束を、長崎から

福岡まで自らが届けるなど、採算を度外視

した行動で顧客を感動させて、ファンを

増やしていくコトになります。

会社を順調に育ててきた石原和幸さんは

長崎でナンバーワンの花屋になりました。

ひたすらにお客さまを喜ばせようと

商売を続けていくうちに、店舗は30店

従業員は100人を超える花屋に成長。

社員旅行は海外に行けるようになった。

そして、36歳を過ぎたころに

石原和幸さんの中で、何かが大きく

変わっていったんだそうです。

会社をもっと大きくしよう、もっとお金を

儲けようと、花の自動販売機を作ったり

花屋のコンサルタントをしてみたり…

そんな石原和幸さんは、41歳のときに

長崎での成功を聞きつけた、大手商社から

合弁会社設立のアプローチを受けます。

計画では「全国800店、従業員数1,000人。

5年後には株式を店頭公開する」でしたが…

今までの成功で、「なんでもできる」と

思っていた石原和幸さんは、迷うことなく

この話に乗りました。

実際、東京進出を果たした石原和幸さん。

港区白金に本社を置き、大勝負に出たが

売り上げは全く伸びませんでした。

全国展開となると、地方での一人勝ちの

商売とは全く勝手が違い、土地柄も分からず

お客さまの顔も見えませんでした。

結果、わずか2年で、8億円もの負債を抱え

会社は倒産してしまいました。

そんなどん底の中でも、花への情熱を

捨てなかった石原和幸さんは、長崎で

原点に戻り、庭づくりと花の販売で

借金返済と戦う毎日が続いたそうです。

その生活は金利だけで月に100万円

返さなければならなかったそうで

その窮地を救ってくれたのが

新たにはじめた庭づくりの仕事でした。

一件で5万円から30万円ほどの庭を

盆も正月も休むことなく、ただひたすら

毎日、2件ほどつくり続けたそうです。

2年ほど経ち「もうこれ以上、頑張れない

かもしれない」と心が折れそうになって

いたときのコトでした…

石原和幸さんは、45歳の時、世界一権威のある

庭と花のコンテストの存在を知ります。

それが「チェルシー・フラワーショー」

即、現地イギリスへ飛び、その庭園技術

レベルの高さを目の当たりにして

衝撃を受け、挑戦するコトを決意します。

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3.チェルシー「世界一の庭師」受賞歴

帰国した石原和幸さんは、社員を集め

チェルシー・フラワーショーに出て

ゴールドメダルをとる」と宣言します。

しかし海外からの出展をするには

3ヶ月ほど日本での仕事を休まなければ

ならなかったそうです。

また、旅費、滞在費、材料費だけでも

5,000万円ほどの費用がかかるという。

まだ、多額の負債を抱えていた頃なので

もちろん従業員や家族は猛反対しましたが

石原和幸さんは、言い出したら聞かなかった。

親から相続した実家を1,000万円で売り

必死で金策に走り回って、なんとか

2,500万円もの資金を作ります

もちろん、イギリスに渡るまでの半年間は

日本で必死で庭を造り続けたんだそうです。

そして、2004年「チェルシー・フラワーショー」

初挑戦で、銀メダルに当たるシルバーギルトを受賞。

初挑戦の日本人がシルバーギルトを受賞した

というコトで、本国イギリスでは、いろいろな

メディアが取り上げて大騒ぎとなったが

日本では全く取り上げられませんでした

しかし、石原和幸さんは、世界で通用した

という大きな自信をつけるとともに

「次も絶対出る、金メダルを必ずとる」と

借金を返しながら、また挑戦を続けます。

2006年の再挑戦で、初めて金メダルを受賞。

2007年、2008年と3年連続で金メダルを受賞。

2011年には、自身の作品の庭の前でエリザベス女王と

談笑し、その様子が英国BBCで報じられたコトが

きっかけとなり、世界のメディアで一躍有名人に…

2012年からは、なんと6年連続!

ア-ティザンガーデン部門で金メダルを獲得。

2017年までに、獲得した金メダルは9つとなり

さらに部門内1位に贈られるベストガーデン賞

とのダブル受賞は4度果たします。

また、2016年大会では、出展者では最高賞の

プレジデント賞も受賞されています。

石原和幸さんは、007(管理人)の住む関西では

2016年にJR大阪駅北側の再開発エリア

「うめきたガーデン」の2つの庭園や

10万株の花畑をプロデュースされています。

また、新潟県の妙高高原、長崎県の雲仙普賢岳で

花と緑で町をよみがえらせる「里山プロジェクト」に

取り組んでいるんだとか…

とにかく、石原和幸さんは、日本の風景の美しさを

アピールし続けておられ、全国で、庭と壁面緑化

事業を展開し、環境保護に貢献すべく活躍中です。

波乱万丈の人生だったようですが、今は本当に

自分のやりたかったことが評価され、幸せに

暮らされているようで、少し安心しました。

でも、まだまだお若いですし、今後も

枯れることなく?ご活躍いただきたいですね♪

ちなみに、吉本クリエイティブエージェンシーに

所属されているとのコトなので、今後もっと

日本のバラエティに、出ていただきたいですね~

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ニトリ会長(似鳥昭雄)虐待といじめの過去!なぜ億万長者に?【アノ人が解禁告白】

4.007ミッション報告

石原和幸さんは、大学時代に「花屋はもうかる」

と聞いていたコトがきっかけで花屋になる!

長崎一の花屋として脚光を浴びるが一転

借金8億円の負債を負うコトになるまでは

成功とどん底を繰り返す波乱万丈の人生

イギリスのエリザベス女王に認められた

「世界一の庭師」は、金メダルを取り続ける

庭園デザイナーのレジェンドになった

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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