丹道夫(富士そば)経歴や家族と年収は?演歌歌手なの?ホワイト経営や名言が話題!【SWITCHインタビュー】

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丹道夫さん(富士そば会長)が

SWITCHインタビューに登場!

過去に義父との確執があった

波乱万丈な生い立ちや経歴と

家族(妻と子)や現在の年収は?

演歌歌手ってホント?本も出版し

人材活用でホワイト経営名言が話題!

など調べてみました。

こんにちは、サイト管理人の007です。

今回注目したのは、この番組♪

2018年9月15日(土)22:00~放送

SWITCHインタビュー 達人達(たち)

「林家たい平×丹道夫」

番組放送内容はコチラ(^^)/

人情話の名手として知られる落語家の林家たい平と、立ち食いそばの店を展開するチェーン店会長の丹道夫が、人の心の機微やつかみ方について語り合う。

昭和10年生まれの丹。さまざまな仕事を経験した後、現在のチェーン店を成功させた。立ち食いそばという当時一般的ではなかったジャンルで、巨大な成功を収めた秘けつが「人材活用」。時代を先取りした丹の人材を活用するコツとは?一方、美大を卒業して落語家になり、人気番組のメンバーとして知られるたい平がこだわるのは人情話。林家三平、林家こん平といった名人から学んだ、人の情けを観客に届ける技について語る。

引用:番組公式サイト

飲食業界の方たちには、かなり

ためになりそうな話が聞けそうで

そこはオンエアを要チェックです!

それでは、007ミッション開始!

丹道夫(富士そば)経歴や

家族と年収は?演歌歌手なの?

ホワイト経営や名言が話題!

時代を先取りした丹道夫さんの

人材を活用するコツとは何なのか…

いったい、どんなお方なのでしょう?

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【目 次】

1.丹道夫の生い立ち

2.丹道夫の結婚(妻と子)や年収は?

3.丹道夫が実業家から富士そば創業まで

4.富士そばのホワイト経営と成功の秘訣

1.丹道夫の経歴と生い立ち

名前:丹道夫(たん みちお)

生年月日:1935年12月15日

現年齢:82歳(2018年9月現在)

出身地:愛媛県新居郡大保木村(現在:西条市)

血液型:A型

最終学歴:東京栄養食糧専門学校

丹道夫さんは、1935年(昭和10年)に

名古屋市で生まれ、生後すぐに父親が

死去したため、母親の実家のある

愛媛県西条市に転居。

母親は息子を育てるため、愛媛で芸者

として座敷に上がり生計を立てますが

丹道夫さんが4歳のとき、17歳年上の

丹高助さんと再婚。

義理の父親は、当時の新居郡大保木村

(現・西条市)で山林の立木を測定する

仕事のほかに借家業を営み裕福でした。

再婚当初、義父は丹さんにとてもやさしかった

そうですが、弟の誕生とともに激変しています。

「5歳の僕を、まるで奴隷のように扱い始めた」

丹道夫さんは当時を振り返ります。

義父は躾(しつけ)と称して、丹道夫さんに

厳しく当たり、川に行って風呂の水を汲み

山に入って薪を拾い、その他にも300坪の

畑の手入れをはじめ、掃除と連日、連夜の

重労働が永遠に続きました。

こんな義父には、母親もまた苦労したそうで

丹さんの母は病弱だったそうですが、義父は

治療のためのお金は一切出さなかったそうです。

医療費は、お母さんが自分の指輪や帯留めを

売ってなんとか工面していたそうです。

「義父のもとから早くひとり立ちしたい」

自然とそれが、強い思いとなっていったとか…。

その一方で、母親が再婚した理由は

丹道夫さんに十分な教育をさせたかった

からだといいます。

「道夫、勉強しなければダメだ」

これが母親の口癖だったそうです。

そんな母の願いもあり、丹道夫さんは

山を20キロも下ったところにある

愛媛県立西条南高等学校農業科定時制に

入学します。

ですが、母親の苦労の末に入学させて

もらった高校を、わずか1学期で中退

母親が嘆く中、義父のすすめで八百屋に

年季奉公をするが、これも長くは続かない。

「ひとりで店番をしなくちゃならなくて

それがなんとも寂しくてね……」

銭湯でガソリンスタンドの店員と知り合い

誘われて転職するが、薄給に嫌気がさし

ここも1年3か月で退職してしまいます。

さらには中学の恩師からの誘いにより

母親の猛反対にも耳を貸さず、はじめて

上京し、人形町の着物問屋で面接を

受けるが、これもまた失敗。

丹道夫さんは、夢破れての帰省でしたが

母親はわが子を大喜びして迎えてくれましたが

母を説得し、再び夜行列車に飛び乗ります。

しかし、東京駅に到着したものの、仕事の

あても行くあてもなく、いざ一人ぼっちに

なると、急に不安が広がりました。

その時、夜行列車で向かいの席に座った

女子大生は丹道夫さんを心配し

「何かあったら連絡しなさい」

と電話番号を渡してくれていました。

丹道夫さんは、彼女が住んでいる埼玉の

大宮へ向かいますが、列車を乗り間違え

たどり着いたのは福島県の湯本駅でした。

湯本で炭鉱の仕事についた丹道夫さんは

黙々と土砂や砂利を運ぶ日々で、そこで

働く男たちが度々争いを起こす様子を見て

「男は学問を身につけなければならない」

という母の言葉がかすめるようになり

会社に願い出て高校の夜間部に通います。

そして上京を諦めきれず、丹道夫さんは

東京に就職先を見つけ、印刷会社に勤務

しますが、南京虫(トコジラミ)によって

倒れ、愛媛に帰郷、療養に専念せざるを

えませんでした。

回復すると、諦めがつかず、またも上京を

夢見た丹道夫さんは、見兼ねた母親から

「栄養学校へ通うなら何とかする」

費用を工面してもらいました。

3度目の上京で栄養士の資格を取り、都内の

公立病院で経験を積んだ後、料理学校の

生徒勧誘の仕事に転職した矢先に事件が…

丹道夫さんの義父が病に倒れ他界してしまい

故郷への帰郷を余儀なくされてしまいます。

愛媛に帰った丹道夫さんは、愛媛県西条市で

『西条料理教室』を開きますが、60名ほどの

生徒さんが集まったものの、すぐに行き詰まり…。

そして、いつか呼び寄せるからと母に約束し

寝袋片手に4度目の上京を試みます。

「もう失敗は許されない」と意気込んだ丹道夫さん

まずは栄養学校の恩師の紹介で、食品販売会社に

就職し、お弁当をつくる調理の仕事をはじめました。

そこで経験を積んだ結果、栄養学校時代の

知り合いからの誘いで独立を決意し

これを機会に、愛媛から母親を呼び寄せます。

丹道夫さんは、愛媛の家を売ったお金で

埼玉県蕨市に家を購入、その隣にわずか

4・5坪の弁当店『東栄給食センター』を開業。

この新事業が大当たりします。

その後、仕事仲間から不動産業へ誘われ

那須高原の別荘地の土地を売る会社を

共同経営でスタートさせます。

(以降の事業遍歴は、後述しています)

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2.丹道夫の結婚(妻と子)や年収は?

丹道夫さんのご家族はと子ども2人

4人家族で、子どもは息子が一人

ずついらっしゃいます。

一番有名なのは現富士そば社長の長男

慶応義塾大学経済学部を卒業している

丹有樹(たんゆうき)さんです。

1974年生まれなので、現在45歳で

丹有樹さんは、29歳でご結婚されて

現在13歳の娘さんがおります。

実はすごいスポーツマンで、小学校から

テニスを始めて、バイトもテニススクール

就職先もテニススクール、その後コーチ

として起業するなど、テニス三昧!

社会人になってからも、社長向けの

テニスサークルを立ち上げて、現在も

趣味として続けられています。

丹有樹さんはご結婚を機に富士そばに入社。

副社長として海外展開を中心に、複数の

事業を取り組んでこられました。

そして、平成27年、丹道夫さんが80歳に

なったのをきっかけに

ダイタンホールディングスの代表取締役

就任しています。

また、丹道夫さんが5歳のときに生まれた

父親の違う弟については、丹道夫さんが

不動産事業に乗り出すときに、成功させた

お弁当屋を譲っているようです。

そして、気になる丹道夫さんの年収

なのですが、会社の規模からある程度

役員報酬を予測してみると…。

丹道夫さんが会長を務めているのは

「ダイタンフード」の資本金は3000万円。

資本金が2000万から5000万円の企業の

平均的な役員報酬は752万円とのことです。

しかし、資産として株を持っていたり、本を

執筆したりと印税もありますので、トータル

年収は軽く1000万円はいくでしょうね♪

一般人の007(管理人)にとっては

ホールディングスの会長ってもう少し

お稼ぎのようにイメージしてましたが…

丹道夫さんは、お金を稼いだらその分

社員に還元するというお方なので

そんなに現金に執着がないかも?ですね~

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3.丹道夫が実業家から富士そば創業まで

1964年「不動産業をやらないか」

友人から丹道夫さんに誘いの電話があり

弁当屋を弟に任せ、そこから捻出した資金を

元に不動産業の共同経営に乗り出します。

一時期は倒産寸前まで追いつめられたが

別荘地が売れ出してからは、あっという間に

会社は急成長したんだとか…

丹道夫さんは、当時の不動産ブームの

波に乗り、その会社を月商30億円

社員数1200人の大企業に成長させました。

不動産事業を成功させた丹道夫さんは

あのデヴィ夫人が在籍したことでも

知られる高級クラブ『コパカパーナ』

連日豪遊したといいます。

丹道夫さんは、続いて巨大バーのチェーン店

経営も手掛けて、売上は1日で1億円を超え

成功した青年実業家へと変身しました。

しかし、丹道夫さんは、臆病というか

堅実というか、こんな風に当時を

振り返っておられました…

「だけど、僕は途中で怖くなったのね。こんな商売はいつまでも続くわけがない、と思った。だって、それまでコーヒー一杯飲んでも『ああ、あのお金があったらなあ……』と4日間反省するくらい、お金に不自由していたこともあったんですから。こんな甘い人生はありえない」と。

そして、もしものことがあっても

せめて役員4人は食べていけるように

しておこうと、当時から立ち食いそばの

店を4店舗持って運営していました。

そのころは「そば清」という名前で店を

出していましたが、友人と経営していた

不動産開発の方は結局、1971年に退職。

ちょうど丹道夫さんが奥さんと結婚した年

退職金と一緒に立ち食いそば屋をもらいます。

当時は、そばの値段が1杯40円で、不動産の

収入とは比べものにならず、そんなもの誰も

いらないと丹道夫さんが引き受けることに…

そして、そのそば屋を、現在の

「名代富士そば」へと発展させていきます。

1966年、富士そばの原点となる日本初

24時間営業の立ち食いそば店を渋谷に

オープンさせたてスタートした丹道夫さん。

共同経営者たちと袂を分かち、1972年

ダイタンフード株式会社を設立、立ち食い

そば店「富士そば」とレストラン6店を

引き継いで独立しました。

それまでは、丹道夫さん自身が病気で入院

したり、母が重病になったり、新事業の

住宅販売が影響し資金繰りに苦労するなど

自身の環境から気持ちに迷いが生じた

時期もあったが、心境の変化で吹っ切れ

事業の要だった立ち食いそば店

「富士そば」の経営に専念することに…

そして、2000年代後半には、一日5万食を

誇る業界トップクラスの立ち食いそば

チェーンとなりました。

低価格、オシャレではないけど

入りやすい店構えで、その味も

インスタント食品よりはおいしくて

ついつい食べたくなる感じ。

店によっては乱切りそばや二八そば

を提供している店舗もあり、頼んでから

出るまでが早く、早朝深夜の営業と

合わせて完全に都会型のスタイル

日本一のそばチェーンということで

店舗数は国内外を合わせれば147店舗

国内の店舗数は23区内に105店、

23区外に11店、埼玉8店、

神奈川7店、千葉6店です。

合計で137店舗。

海外の店舗数は台湾4店、

フィリピン5店、シンガポール1店、

合計で10店舗です。

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4.富士そばのホワイト経営と成功の秘訣

外国人にも人気の『名代 富士そば』

展開するダイタングループは、昨今

アルバイトにもボーナスや有給休暇を出す

『ホワイト企業』として注目を集めています。

その経営方針には、生後間もなく父親を亡くし

上京して、紆余曲折の末に一大立ち食いそば

チェーンを作り上げた『丹道夫会長』

人生が反映されていると話題に!

『運とは情報である』と語る81歳の経営哲学とは――。

僕はガツガツして見えないでしょ。むしろ、おっとりして『なにやってんのよ』と思われるタイプだと思うけれど。

友達にすごく威張るのがいるんです。だからこの前、言ったんだ。『あんまり威張るのは良くないよ』って。僕は威張るのは嫌いなの。苦労したからというのもあるけれど、性格だね。それが『運』だと思うしね。

商売に必要なのは強い体と強い心、それと強い運ですよ。運ちゅうのはね、情報なんだよ。威張っていたら、肝心の情報が入ってこない。だから威張っちゃいけんって思ってる。

バイトでボーナス退職金が出るなんて

すごい企業だと思いませんか!

時給はどの店も基本1,100円以上

しかも、休憩時間も1,100円いただけて

もちろん、交通費も全額出るんだとか…。

ボーナス、退職金なしだとしても

飲食店では、まちがいなく破格の

超優良な就業条件です。

実際にお店に行くと、スタッフは

わりと年齢層の高い(ごめんなさい)

中年くらいの方が多く感じました。

※逆にそれが魅力なのかも?

少なくても若々しくて、テキパキ

ファーストフードしている印象はなく…

ですが、ちなみに正社員は年収518万

さすがにホワイト経営のすごさが

お給料や就業条件だけみても

一目瞭然ですね(^^)/

そして、その成功の秘訣についてですが

丹道夫さんの名言集ともいえるツイッターで

数々の心打つお言葉が印象に残ります…

人は馬鹿じゃない、計算するよ。休みもなくて金もくれなきゃ働かない。ブラック企業と言われるような経営なんて、僕には考えられないよ

金が儲かるなら何をしてもいいというわけではありません。

他人の心の痛みがわかる接し方を従業員とすれば「ほかでダメでもここでなら力が伸ばせる」と従業員が思い、存分に働きます。

売り上げが落ちてもお給料が下がることはないですけれど、伸びたらその分、事務員にもプラスアルファのお金を出す。

わが社は分社経営を行い、各分社の経営は常務が担当しています。そして、常務の大きな仕事に「物件探し」があります。立ち食いそば屋は、物件が命です。物件選びを誤ると売上は伸びません。

商いのコツは「儲」という字に隠れています。「信じる者」と読めます。

マニュアルは、創意工夫を殺します。前ににも言いましたが、コンビニやファミレスでの店員の対応に見られるような紋切り型の言葉には、少しも心が込もっておらず、かえってお客さまに失礼だと私は考えています。

立ち食いそば屋というと、ちょっと悪いイメージを持たれている大家さんも多いですけど、経営者としてだけではなく、作詞家としても活躍していることをお伝えすると、安心されるようです。面談するときは本とCDを必ず持参します。(作詞活動は経営にプラスになるか、という質問に対して)

「自分が言っていることはすべて正しい」「自分のやることに間違いはない」と思い込んでいると、ろくなことになりません。自分より賢い人は、世の中にゴマンといます。自惚れている人では、組織をうまく回すことができません。

007ミッション報告

壮絶で波乱万丈な人生を歩まれてきた丹さん。

超ホワイト経営で知られるダイタングループは、

これまで歩んできた経験から人とはを熟知

している丹さんの経験則によるもの。

そして、丹さんはこう語っています。

「社員こそ内部留保(企業の蓄え・財産)。

企業は人なり。いい社員がいなければ

会社なんて伸びない。僕はそう思うなあ」

最後までお読みいただきまして

ありがとうございます(^^)/

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