折元立身(現代美術)wiki経歴や母の死後、今現在は?パン人間やアートママ作品がスゴイ【ハートネットTV】

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こんにちは、サイト管理人の007です。

昨年、うつ病でアルツハイマー病の

母を介護する現代美術家の息子として

折元立身(おりもとたつみ)さんが

「ハートネットTV」に特集されました。

どうやらその反響が大きかったのか

アンコール放送されるコトが判明!

2018年8月13日(月)20:00~放送

ブレイクスルー File.83

アートママ —母と息子 最期の物語—

NHKの「ハートネットTV」っていうと

ごちゃ混ぜで支えあう、多様性の

ある社会を目指すコトが趣旨で…。

さまざまな「生きづらさ」を抱えた

人たちのため、トークバラエティーや

ドキュメンタリーという企画を放送。

テーマは、貧困・虐待・自殺・うつ

依存症・発達障害・認知症・がん

難病・介護・リハビリ・障害・LGBTなど

毎回いろんなコトを考えさせられます。

折元立身さんは、ずっと母親と二人で

なんと介護生活からアート作品を創出

されてこられました。

しかし昨春、状況が一変。98歳の

母親が亡くなって以来、喪失感から

引きこもってしまったんだとか…。

現代美術家として、世界で活躍する

折元立身さんの経歴は?母親の死後

今現在の活動や仕事は?

パン人間やアートママ作品がスゴイと

世界中の美術展覧会に招待された

というコトで、007ミッション開始!

折元立身(現代美術)wiki経歴や

母の死後、今現在は?

パン人間やアートママ作品が

スゴイ【ハートネットTV】

昨年、共同制作者でもあり

最愛の人だった母の死に直面し

どうなってしまったのでしょうか?

現代美術家の折元立身さんって

いったいどんなお方なのでしょう…

【目 次】

1.折元立身の経歴(プロフィール)

2.折元立身の母との想い出

3.折元立身の作品「パン人間」

4.折元立身の作品「アートママ」

5.折元立身の今現在の活動は?

1.折元立身の経歴(プロフィール)

出典:http://aoyamameguro.com/

折元立身さんは、1946年神奈川県

川崎市の生まれで、今年で71歳に

なられます。

1969年に渡米し、カリフォルニア・

インスティテュート・オブ・アート

本格的に美術を学んでいます。

折元立身さんは、そのあと1971年に

ニューヨークに移って「ビデオアートの父」

として知られる現代美術家、ナム・ジュン・

パイクとフルクサス・グループに出会い

初めてアートパフォーマンスを開始。

1977年に日本に帰国して以降は

国内及び、世界各国で精力的に

制作活動を続けています。

主な作品は

Step in (1980-86)

Bracelet (1978-84)

Pull to Ear (1983-87)

Bread Man (1991~)

Art Mama (1996~)

折元立身さんは、1988年には

シドニー・ビエンナーレ、1991年

サンパウロ・ビエンナーレなどの他

ドイツを中心にヨーロッパでも

作品を発表されています。

世界各国の展覧会やパフォーマンス・

アート・フェスティバルに招待され

国際的に活躍されています。

折元立身さんを、一躍有名にしたのは

1991年のBread Man「パン人間」

のパフォーマンスでした。

フランスパンで頭部を覆った人が

東京の銀座周辺に出現するとその後

世界各地に出没!というものでした。

日本では折元立身さんは、2000年に

東京の原美術館で、国内初となる

本格的な個展を開催されています。

翌年、2001年はベニス・ビエンナーレ

アペルト部門、横浜トリエンナーレ

にも作品を出品されています。

そして、かねてより折元立身さんは

「アートには心をケアする力がある」

と考えていたそうです。

ご自身の母親の介護生活そのものを

アートにし、アートとケアが一体化

した作品や活動は、美術の新しい

在り方を提示され、介護医療の現場

でも注目されることとなりました。

折元立身さんは、2006年には地元

川崎市市民ミュージアムで

「50人のおばあさん」を開催。

川崎市内の老人ホームや介護施設から

50人のおばあさんを美術館に招待し

食事をふるまうイベントも実施。

さらに2014年、ポルトガルの修道院で

「500人のおばあさんの昼食」という

集団パフォーマンスを実施。

ウエイターにふんした折元立身さんが

ワインをついだり、料理を運んだりと

施設に入所している500人の女性たちの

ため給仕役に徹したんだそうです。

もちろん、そのイベント会場は

歌ったり踊ったりで大盛り上がり

大盛況となったとのコトでした。

ご自身の母親を介護するだけでなく

アートによって人を元気にする

活動もされていたんですね~

折元立身さんは、そんな活動も

しながら、2016年にはフランスで

作品集を出版しておられ、8月には

デンマークでアートイベントに

参加していらっしゃいます。

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2.折元立身の母との想い出

折元立身さんの母親、男代(おだい)

さんは、1919年、埼玉県秩父市の

分家百姓の農家に生まれたそうです。

そして、12歳で東京池袋の商家に

子守奉公に出て、20歳のころに

福岡出身の父親と見合い結婚。

折元立身さんは、戦後間もないころ

鉄骨会社に勤める父と母、男代さん

の間に3人兄弟の次男として誕生。

その当時の生活は、4畳半一間に

一家5人で暮らすほど、大変質素で

貧しかったというコトでした。

父親は、仕事は真面目でしたが

遊び好きで、競馬場や競輪場に

連れて行かれた記憶しかないとか…。

折元立身さんは、当時苦しい家計を

支えるために毎日、一生懸命に働く

男代さんの姿を、幼心ながら鮮明に

記憶しているそうです。

とはいえ、日々の生活に、明るい

彩りを添えてくれたのも男代さんで

カラフルなセーターを息子たちに着せ

中学生のころには、兄弟を連れて

人形浄瑠璃に連れて行ってくれた

コトもあったそうです。

高校生になった折元立身さんは

東京芸大への進学を目指しますが

家で描いていると「油絵の具が臭い」と

父は渋い顔をして怒ったそうです。

そんな折元立身さんに、男代さんは

「思う存分に描きなさい」と近所に

小さい部屋を借りてくれたそうです。

東京芸大を7回も落ち、日本の大学に

入れず、ニューヨークに行くコトも

まったく反対しなかったそうです。

そして、海外で美術を学んだ7年間

折元立身さんに、男代さんだけは

数通の手紙を送ってくれたそうです。

晩年の男代さんのお世話を、どうして

折元立身さんが献身的にされたのか

こんなエピソードからなんですね~

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3.折元立身の作品「パン人間」

1977年に日本に帰国してから

折元立身さんは、生活のため

ある会社でアルバイトを始めます。

仕事は百貨店のショーウインドーや

商業施設のディスプレーだった

というコトで、そこで働きを見込まれ

下請け会社を作られました。

折元立身さんは、休暇の度に海外へ

飛んでは、実験的なパフォーマンス

行って記録写真を撮影し、日本や海外の

画廊で発表してこられました。

そんな折元立身さんを一躍有名に

したのが1991年にはじめたという

「パン人間」のパフォーマンス。

顔一面にフランスパンを付けた

異様な姿で世界各地を旅してまわり

現地の人々と交流したそうです。

折元立身さんいわく「イギリスでは

子供が“エレファント・マン”と言って

寄ってきたが、北欧では遠巻きに…

国によって反応が違い、リアクションや

コミュニケーションが面白い」んだとか。

それ以降、折元立身さんにとって

コミュニケーションが、重要な

テーマとなったそうです。

聖書では「パンは肉でワインは血」

フランスパンなど西洋のパンは

折元立身さんにとって憧れでした。

その当時は、西洋人ならできないし

ヨーロッパに対する挑戦でもあり

米を主食とする日本人だからできた

と語っておられました。

ですが、折元立身さんも、さすがに

最初の1、2回は、こんなコトを

やっていいのか?と、恥ずかし

かったんだそうですよ♪

しかし、いまでは欧米の美術関係者が

「ブレッドマン・タツミ」と言ってくれる

そうで、やり続けてアートにしてしまった。

と語り、また、それがあったから

「アート・ママ」ができたんだとか…

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4.折元立身の作品「アートママ」

折元立身さんは「アート・ママ」

男代さんを登場させたパフォーマンスや

映像などを1996年から発表しています。

きっかけは、父の死から一緒に暮らす

男代さんがうつ病アルツハイマー病

発症してしまったコトでした。

折元立身さんは「おふくろとの生活や

介護をアートにしてしまえばいい。

それが、いちばんリアリティーがある」

と思ったそうです。

「母との日常こそアートである」という

その発想の転換は、病気によって日々

変わりゆく母に絶望して、出口を

見失っていた毎日に風穴を開けました。

そして「アートママ」と名付けられた

写真や映像作品の数々は、世界中の

美術展覧会に招待されるまでになり

折元立身さんは日本でもさらに有名に…。

「スモール・ママ+ビッグ・シューズ」

(1997年)は、男代さんに不自然に

大きな靴を履かせて道路に立たせて

撮影した写真作品です。

この作品のエピソードは、小柄で

尋常小学校の朝礼では、いつも最前列に

立っていたという男代さんの背を

高くするため、段ボールで靴底を

極端に厚くした靴を履いてもらったそう。

他にも、タイヤチューブを男代さんの

首にさげて写真に収めた作品や、男代さんの

誕生日に折元立身さんが、ごちそうを

振るまうシーンを撮影した作品も…。

とにかく、親子のコミュニケーションを

テーマにしたすべての作品は連作となり

折元立身さんの代表作となりました。

しかし同時に、悪口もささやかれた

というコトで「母親を痛めつけている」

などといわれた折元立身さんは強く否定。

「息子だから、いやなことと、そうで

ないことは分かる。2人には信頼関係が

ある。おふくろはいつも応援してくれ

心配してくれていた。感謝しきれない」

そんな雑音は、男代さんを献身的に

支えることですべてシャットアウト

してきたんだそうです。

ユニークなのが、日課だったおむつ交換を

「エルヴィス・プレスリーのおむつ替え」

(2013年)という映像作品。

折元立身さんが、エルビスプレスリーの

お面をつけ、プレスリーの音楽を流して

おむつを交換するというもの…。

辛いことも、明るくユーモアのある

アート作品へと昇華させてしまわれます。

「俺の作品は遊びがないとだめ。

生活が楽しくないと美術ができない。

おふくろのことが大好きだったから

世話はいやではなかった。」

と語る折元立身さんが、男代さんと

一緒に行うパフォーマンスは、母と子の

信頼関係によってのみ成り立つという

とっても、愛情深くて思いやりある

相棒同士の2人組アートなのですね。

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5.折元立身の今現在の活動は?

そんな中、昨春、折元立身さん最愛の

98歳の母、男代さんが亡くなって

しまわれました。

番組の内容にはこうあります

これまで、どんなこともアートへと昇華してきた立身さん。しかし、共同制作者であり最愛の人だった母の死に直面し、何も生み出せず、家に閉じこもるようになりました。母の死を如何に受容し、表現しうるのか?

とりあえず、詳しい経緯は番組で

明かされると思いますが、今現在は

お元気に活動再開されていましたので

昨年末のインタビューでは、こんな風に

話されていました…

「おふくろは亡くなったけど心の中にいる。これからもおふくろが与えてくれた思いやりを大切に、人間関係やコミュニケーションをテーマにした作品を発表していきたい。他人のおばあちゃんで…。おやじは嫌いだったから、おじいちゃんにはいい印象がない。でもおばあちゃんは好きだから」

男代さんからもらった折元立身さんの

創作意欲は、衰えていないようで

安心いたしました♪

最後に、2018年8月の今現在ちょうど

開催されている、折元立身さんの

最新の展示やイベントをご紹介します。

折元立身 – 昔と今

会期:2018年8月4日〜9月16日

会場:尾道市立美術館

住所:広島県尾道市西土堂町17-19 千光寺公園内

電話番号:0848-23-2281

開館時間:9:00〜17:00 ※最終入場は閉館30分前まで

休館日:月

料金:一般 800円 / 高校・大学生 550円 / 中学生以下は無料

パフォーマンス・アーティスト、折元立身の回顧展「折元立身 – 昔と今」が、広島県の尾道市立美術館で開催される。本展では、これまであまり公開されることのなかった《腕輪をはめる》《耳を引く》などの初期作品から、近年の《パン人間》《アート・ママ》といった代表作までを公開。40年以上にわたり現代アートシーンを牽引してきた折元の足跡をたどる。会期は8月4日〜9月16日。

これまで展示の機会が少なかった

折元立身さんの初期の作品が公開

される貴重な機会だそうです。

国際的に活躍しつづける折元立身さんの

代表作品もいっきに拝めるというので

ぜひとも、堪能したいものですね♪

また、こんなイベントにも参加

されていますのでお近くならぜひ!

水と土の芸術祭2018

会期:2018年7月14日(土)- 10月8日(月・祝)

計87日間会場:市内全域

メイン会場:万代島多目的広場(大かま・屋外広場)

サテライト会場:ゆいぽーと 新潟市芸術創造村・国際青少年センター

その他、市内全域で各プロジェクトを展開

休館日:メイン会場・サテライト会場:毎週水曜定休(8/15を除く)

折元立身さんの展示会場:天寿園

6.007ミッション報告

うつ病でアルツハイマー病の母

男代(おだい)さんをひとりで

20年以上も介護してきた、現代

美術家の息子折元立身は現在71歳

介護生活から二人でアート作品を

次々と世に生み出し、今では世界的に

有名なアーティストとなる

最初に話題になった作品「パン人間」で

テーマをコミュニケーションとして活動

「アートママ」では介護をアートに!

母の死で一時は創作意欲をなくし

引きこもってしまうが、現在は

以前にも増して、精力的に活動中

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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