下重暁子の人生の師小林ハルとは?夫との生活や孤独本の評判は?【爆報フライデー】

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こんにちは、サイト管理人の007です。

今週放送の、爆報!THEフライデー

【ベストセラー作家 人生の師】のコーナーに

下重暁子(しもじゅうあきこ)さんが登場!

下重暁子さんといえば、元NHK女子アナで

「家族という病」の著籍が50万部突破の

ベストセラー作家ですが、常人では

理解できない思考をお持ちで、炎上も…

今回は、2017年に続いての爆報!登場と

なりますが、人生の師と仰ぐ盲目の老婆

小林ハルとはいったいどんな方?

子どもは産まなくていい発言で炎上?

夫と寝室をわけるという仰天生活や

ベストセラーの本「家族という病」

前回の番組出演の評判はかなり辛辣?

などなど気になりますよね~

というコトで、007ミッション開始!

いったい、どんな作家さんなのでしょう?

2018年9月7日(金)19:00~放送

「爆報!THEフライデー」に出演!

同日放送の「柏村武昭」さんの記事は▼コチラ▼

柏村武昭の今現在や年収は?金髪娘と嫁の経歴や画像と離婚のウワサ真相!

番組放送内容はコチラ(^^)/

「家族という病」がベストセラーとなった作家・下重暁子が「孤独を恐れる日本人」を斬る!▼下重が人生最大の衝撃を受けた盲目の老婆とはいったい何者なのか?

「家族という病」がベストセラーとなった作家・下重暁子が新しいテーマで日本人をぶった斬る!  ▽「孤独と寂しさは違う」下重が伝えたい本当の孤独とは?  ▽その背景には、下重が人生最大の衝撃を受けた謎の人物の存在が!  盲目の老婆の背景にあった壮絶人生とは!?

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【目 次】

1.下重明子さんの経歴(プロフィール)

2.盲目の老婆小林ハルとは?

3.下重明子さんの夫と仰天夫婦生活!

4.ベストセラー本と番組出演の評判など

1.下重明子さんの経歴(プロフィール)

生年月日:1936年5月29日

現年齢:82歳(2018年9月現在)

出身地:栃木県宇都宮市

学歴:早稲田大学教育学部国語国文学科卒業

下重 暁子さんは、日本の作家、評論家

エッセイストとして活動。栃木県の出身で

元NHKアナウンサー、JKA会長。

1959年、アナウンサーとしてNHKに入局

名古屋放送局や東京の放送センターに勤務

(野際陽子は、名古屋での1年先輩の同僚)

1968年、フリーアナウンサーへ転身し

『長谷川肇モーニングショー』(NETテレビ)

等のキャスターを経て、文筆活動を開始。

下重 暁子さんは、すでに50冊以上の本を

執筆されていて、特に有名な著書が

ベストセラーの『家族と言う病』

執筆は主に軽井沢の別荘で書いていて

50年前からこの避暑地で活動をしており

軽井沢ではちょっとした有名人に…。

現在、軽井沢で最も人気の「愛宕エリア」

豪華な2つの建物を所有。元はアメリカの

宣教師の家で20年前に購入。

開放感あふれるバルコニーで読書を

するのが今も大好きだというコトです。

下重 暁子さんのお父さんは職業軍人

有名な226事件クーデタ-に参加した

将校たちと同期だったそうです。

戦後は職を追われ、それまでの毅然とした

態度を失ってしまった父親と、その父を

受け入れる母親への反発があったそうです。

「家族と言う病」には「一家団欒」への

幻想など、家族であるが故の重荷や

苦労について書かれています。

下重 暁子さんの経歴で意外だったのが

日本自転車振興会の会長を2005年から

2012年まで務めていたコトでした!

どうも自転車がお好きだったようで

女子競輪の再開を強く要望され

2008年にエキシビションながらも

女子のケイリンレース実施を実現。

女子競輪を2012年7月に復活

させることを決定したそうです。

こんなエピソードも、番組で語られると

興味深いですが、オンエアはどうなる

でしょうか?

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2.盲目の老婆小林ハルとは?

下重暁子さんの『鋼の女 最後の瞽女・小林ハル』

(2003年)【絶版】では、盲目の旅人で

最後の瞽女(ごぜ)小林ハルさんの

人生が描かれています。

瞽女(ごぜ)とは盲御前(めくらごぜん)

という敬称に由来する日本の女性の

盲人芸能者のコトです。

近世までは、ほぼ全国的に活躍していて

20世紀には新潟県を中心に北陸地方など

転々としながら三味線、ときには胡弓を

弾き唄い、門付巡業を主として生業

とした旅芸人だそうです。

小林ハルさんのプロフィール

生年月日:1900年1月24日

出身地:新潟県南蒲原郡井栗村(現 三条市)

死没:2005年4月25日(105歳没)

生後3か月で失明し、5歳の時に瞽女修行を開始。

数多くの苦難を経て晩年に「最後の長岡瞽女」

「最後の瞽女」として脚光を浴びた。

1979年(昭和54年)、黄綬褒章を授与される。

選択無形文化財の保持者に認定された

ことをもって人間国宝と呼ばれることもある。

時代とはいえ、視覚障碍者である小林ハルさん

Wikiを見ていただけるとわかるのですが

とても酷い人生を歩んでおられました…。

●近所の人目を気にして、「人に見られてはいけない」とハルを常に屋敷の奥にある寝間に置いた。

●家族はハルに「呼ばれなかったら声を出すのではないぞ」と言い聞かせた。

●食事はすべて寝間で食べさせられ、「手洗いが近くなるから」という理由で水分をとることも制限された。

●ハルは家族から「お前は人の世話になっているのだから、満足なご飯なんて食べさせていられない。だが、そのために病になってしまったら、近所の手前が悪い」と言われた。

●盲目であることが分かってから、家族はハルを名前で呼ばなくなった。

●16歳年上の兄はハルによく暴力をふるったが、家族は

「お前はこの家で一生、兄さの世話にならなければならないのだ」、

「お前がいるせいで、兄は年頃なのに、嫁のなり手がなかなか見つからない。兄さに辛くあたられたって、仕方のないことだ」

と兄が咎められることはなかった。

●ハルは「お前には誕生日はないんだ」と言われ、兄弟と違って誕生日を祝われることもなかった。(晩年まで正確な誕生日を知らなかった)

引用:Wikipedia

母親から教えられたことが、一生ハルさんに

影響を与えることになるのですが、どんな

辛い目に遭っても、運命に逆らわず、黙って

受けとめ自分の中で消化する。

こうした母親の教えがハルさんにとにかく

「運命を甘受する態度」を植えつけ人生が

困難続きとなる原因をつくったんだと

下重暁子さんは分析しています。

ハルさんは筆舌に尽くせないような壮絶な人生を送った人ですが、

私が初めてお会いしたときに、いままで見たことのない凛とした気品を漂わせていたのです。

ハルさんには、本当の孤独を知った人にしか持ちえない突き抜けた明るさがあって、

目が見えなくても、針仕事も料理も何でもひとりでできてしまう。

自分自身を見つめることから生まれた内面の美しさが、自然とにじみ出ていたのです。

「いい人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修業」と口癖のように言っていましたが、

ハルさんは自分の人生そのものを修業と捉えていたのでしょう。

品性とは育ちや環境によってではなく、

自分自身と対話を重ねてきたかどうかによって決まる。

ハルさんが背中で教えてくださったことです。

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3.下重明子さんの夫と仰天夫婦生活!

下重暁子さんの旦那さまは3歳年下で

キャスター時代に出会ったテレビ局

勤務の男性でした。(名前は非公開)

旦那さまは非常に家庭的なお方で

お料理が得意だとかいうコトでして

結婚当時から家事一切ご主人が仕切って

いらっしゃるようです。

「下重暁子」は旧姓。結婚した時は

改姓したが、旧姓のままでいたかった…

という下重暁子さんは、死ぬ前には

事実婚に戻し「下重暁子」として死にたい

と話しておられます。

「夫婦同姓は明治期からの制度であり

伝統でもなんでもない。」

「通称利用で現制度の不利益が緩和される

などということはない。」と主張されています。

下重暁子さんが、旦那さまの許可なく

リフォームして寝室を分けてしまった話や

夫婦別姓を尊重しているっていうのは

現在の日本ではやっと出てきた議論かも?

結婚して約半世紀。夫婦で相談のうえ

子どもは作らなかったという

下重暁子さんご夫婦。

夫婦それぞれの時間を尊重するため

下重暁子さんは、自宅をリフォームし

別々に暮らすことにした。

今でも、寝室を別々にし、無理に

相手のペースに合わせない暮らしを

しているんだそうです。

それはまるで同居人のようで

「歳をとったら、個に戻ればいい。

必要になれば一緒にいればいい」

というのが下重暁子さんの持論だとか…。

さらに、夫婦の財布は完全に別会計で

夫に養われるのは嫌だといい

この独自のルールで今でも円満に

夫婦生活を続けているんだそうです。

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4.ベストセラー本と番組出演の評判など

2015年に幻冬舎から『家族という病』

を出版し、60万部のベストセラー

となった下重暁子さん。

同書の中で下重暁子さんは

「親や家族の期待は子供をスポイルしている」

「配偶者は他人」などと家族の価値を否定し

自立した個人の重要性を強調しています。

この本の反響はすさまじく、これに対して

金美齢さんは「歪んだ家族論」

「傲岸不遜と言わずして、なんと言おう」

下重暁子さんを批判して

2016年に反論本『家族という名のクスリ』

を出版するというエピソードも有名です。

下重暁子さんは、人間が十人十色あるように

家族のあり方もそれぞれ違っていて当然。

他人に期待せず、常に自分自身に

期待して生きていゆきたいと話し…

「世間体が良い家族 = 理想の家族」

ではないと主張しています。

2015年に初めて「爆報フライデー」

出演されたときには、かなり辛辣な

ツイートがSNSで話題になりました。

子どもを産まない選択をした下重暁子

さんが、いま直面しているのが遺産相続

の問題だそうです。

ですが、自身の財産は自分で使うと

決めており、使いきれなかった分は

全額寄付すると決めているんだとか…。

ここも、旦那さまとは、話し合って

許されているんでしょうか?どちらが

先に逝くかはわかりませんよね~

そんな下重暁子さんは、盟友である

野際陽子さんについて「初心を貫徹して

死ぬ間際まで現役で死んだ。それは

凄いことだと思う、私も最後まで

物書いてばったり倒れるのが一番良い」

と話しているんだそうです(^^)/

同日放送の「柏村武昭」さんの記事は▼コチラ▼

柏村武昭の今現在や年収は?金髪娘と嫁の経歴や画像と離婚のウワサ真相!

5.007ミッション報告

下重暁子さんは、才色兼備、アナウンサーから

作家に転身された方ですが、考えの中で

とにかく「個」を尊重している女性。

人生の師と仰ぐ小林ハルさんは、壮絶な

人生でありながらも、孤独と気品を

持ち合わせた素敵な女性でした

最後までお読みいただきまして

ありがとうございます(^^)/

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