NHK障害福祉賞で優秀賞を受賞した
高橋和明さんが【ハートネットTV】に!
脳性まひの障害がある兄とともに
育ったその経歴や結婚(妻と子)は?
父の死と母や家族との関係は?
うつを乗り越え現在の生活は?
などを調べてみました。
こんにちは、サイト管理人の007です。
今回注目したのは、この番組♪
2018年11月7日20:00~放送
ハートネットTV 高橋和明さん出演!
番組放送内容はコチラ(^^)/
ハートネットTV NHK障害福祉賞
「過去の出来事から得たもの 高橋和明さん」
障害のある人やその周囲の人の手記を集めた『NHK障害福祉賞』。優秀賞を受賞した岩手県の高橋和明さん(36)は、障害のある兄がいることで葛藤してきた日々についてつづった。
小さい頃、周囲からからかわれても、兄の世話につきっきりの母親には言い出せなかった。強がって生きてきたものの、やがて鬱を発症し、自殺も考えた。今回、自分の人生を振り返り、抱え込んできた思いを記した和明さん。それを母親にも読んでもらう。
高橋和明さんは、幼いころから
周囲の偏見に悩み続けてきたため
自殺を考えたこともあったそうです。
母親にも言えず、苦しんだ日々と
過去の出来事から得たものにより
今、過去と向き合う決断をした…。
というコトで、007ミッション開始!
高橋和明さんの経歴や結婚(妻と子)は?
父の死と母や家族との関係は?
うつ病を乗り越え現在の生活は?
2020年の東京パラリンピックを控え
いろんなアスリートが注目されており
世間では話題になったりしていますが
障がいを負ってしまった本人だけでなく
その家族も、いろいろな苦悩を抱え
がんばっているコトがわかりました!
高橋和明さんがお兄さんに抱いてきた
複雑な感情や、ご家族との関係とは
いったいどんなものだったのでしょうか…
【目 次】
1.高橋和明さんの経歴や結婚(妻と子)は?
2.父の死と母や家族との関係は?
3.うつ病を乗り越え現在の生活は?
4.高橋和明さんの受賞のことばとは?
1.高橋和明さんの経歴や結婚(妻と子)は?
1982年生まれの高橋和明さんは
現在36歳で、生まれた時には既に
脳性まひだった兄と育ちました。
全校児童200人程度の田舎の小学校で
当時、六年生だった高橋和明さんは
勉強もスポーツも優秀なガキ大将。
しかし、その小さく閉ざされた
社会の中で、学級や学年を越えて
障害者の兄をバカにするモノマネが
流行ったそうです。
先生や友人に話せば、状況は変わって
いたかもしれませんが、根本的な解決
にはならないと思っていた高橋和明さん。
誰にも何も話さないかわりに、優秀な
成績もガキ大将の地位も守り続けます。
また、あるとき、公民館に子ども達と
その親が集まる行事があったときに
高橋和明さんの兄も参加していたが…。
数人の男子が、兄をバカにし始めた。
ひどい言葉で罵ってもいたそうです。
客観的にみれば、差別と偏見に満ちた
空間でしたが、そこに母の叫ぶ声が響く
「この子だって生きているんだよ!!」
兄のモノマネの流行や公民館の1件は
ただの『過去の出来事』になれば
良かったのですが、12歳の少年が
経験するには、少し複雑過ぎました。
それからというもの、高橋和明さんは
これまで以上に、自分で全てを解決
しようとして生きてきたといいます。
1998年3月に中学を卒業すると、推薦で
バスケットボールの強豪高校に入学し
以降3年間はバスケの練習にひたすら
打ち込む日々を過ごした高橋和明さん。
3年でバスケ部を引退し、小学校教師に
なるために、本格的に受験勉強を開始
されました。
当時の第一志望は、教育学部の小学校
教育コースでしたが、センター試験で
失敗し、二次試験に向けて担任と相談。
小学校の教員免許取得が可能で偏差値は
同じぐらいですが、志望人数が少ない
「障害児教育コース」受験を選択。
2001年春、無事に合格して大学に入学
してからは、障害児教育コースという
コトで、堂々と兄の話ができたとか…。
2005年4月、上京した高橋和明さんは
東京の養護学校に教諭として就職し
希望に満ちた生活をはじめられました。
その後、うつ病と診断されたときに
故郷へ帰った高橋和明さんは、2009年
現在の奥さまと出会われ交際を開始。
2012年3月に結婚し、2015年に
長男が、2016年には次男が誕生し
現在は奥さまと、2人の息子さんと
幸せな生活を送っています。
2.父の死と母や家族との関係は?
高橋和明さんとは1歳違いの兄は
脳性まひにより、身体、知的ともに
障害があり、トイレと入浴は全介助で
食事も一部介助が必要だそうです。
母親は、今も昔もパワフルで目立つ
存在だそうで、口数が多くない父親に
障がい者の長男、次男の高橋和明さん
そして4歳下で控えめな性格の妹…。
なにより、五人家族の中心は兄と母親
だと、幼い頃から感じていたという
高橋和明さんでしたが、その理由は
母親が、兄を堂々と連れて歩いたから
だそうで、また、自分の感情に本当に
正直な人でもあったからと語ります。
そして、高橋和明さんの一番の味方であり
理解者であり、ヒーローだったという
父親が1995年5月の連休明け、夜中に突然
心停止の発作を起こしたんだそうです。
すでに意識を失っていた状態の父親は
救急搬送された時点で「数時間の命」と
宣告されたそうですが、意識が戻らない
ままでも5年以上、頑張ったそうです。
父親が倒れて、家族はみんな途方に
くれたそうですが、しかし、誰も
絶望を口にはしなかったそうです。
こんな状況のときこそ、家族が
一つになる必要があったと、強く
感じていた高橋和明さんですが…
兄の存在も、意識が戻らない父親の
姿も受けいれることができなかった
自分が原因で、当時の家族はひとつに
なれなかったんだそうです。
母親と兄との関係が絶対的なものだ
とすると、父親と高橋和明さんとの
関係もそれに近いものがあったとか…。
そうして、妹を含め、互いが互いに
『腫れ物に触るような感じ』が
徐々に増えていったそうです。
2000年9月。高橋和明さんが18歳
まだ多感で受験を控えた高校3年生
だったときに、父親が亡くなります。
その二週間後に、大事な試合があった。
高校最後の県大会の決勝戦。
体育館にいる誰もが注目する決勝戦のコート。
負ければ本当に最後という試合のコートサイドには、兄と母の姿があった。(せめてもう少し端っこでみてくれよ……)と、一番大事な試合の前にも関わらず、そんなことを考えていた。
今まで一度も勝てなかったという
相手に初めて勝ったという、思い出
深いこの試合は「父親と兄が力を
くれた」と感じたそうです。
3.うつ病を乗り越え現在の生活は?
2005年4月、意気揚々と東京の
養護学校に教諭として就職した
高橋和明さん。
当初は希望に満ちていたし、何故か
それなりに自信もあったそうですが
しかし、現実は厳しく…。
自分で思うよりも、はるかに仕事が
できなかったコトで根拠の無い自信は
すぐに打ち砕かれたそうです。
それでもまだ「まともに出来ている
仕事はトイレ掃除ぐらいっす」と
冗談を飛ばす余裕はあるつもりが
徐々に周りから「痩せたね」と
言われ始め、はじめは自分でも
夏バテ程度の感覚だった状況が
7月あたりからは、明らかに自分が
壊れていくのを感じ、周囲に勧め
られるまま心療内科を受診すると
うつ病と診断された高橋和明さん。
2005年8月、わずか4カ月の勤務で
養護学校を退職。
理想の現実とのギャップだとか
慣れない環境だとか、多忙な毎日と
当てはまりそうなものは、いくつも
あったが、何よりも感じたのは…
高橋和明さん自身が、自分のことを
全く分かっていなかったという
ヒトコトに尽きるのだそうです。
その年の9月、実家に戻り、信頼できる
友達に、うつ病になったことをひたすら
打ち明けまくったところ…。
「がんばれ」と励ます人もいたし
「優しすぎるし、ストイック過ぎる!」
と怒る人もいたとか!
ほかにも「俺どうして良いかわかんねー」
とはっきり言う人もいたそうです。
そして、正直に話して正直な答えが
返ってきた時に、高橋和明さんは
自分の居場所を感じられたといいます。
しかし、病気の波は自分でコントロール
できない時もあり、大量服薬や身体を
傷つけたり自傷行為もしたといいます。
あるとき、本気で死のうと、リュックに
ダンベルを詰めて背負い、さらに紐で
縛って外れないようにして、橋から
川に飛び込んだこともあったとか…。
常に酒と煙草の量が増えたり減ったり
しながら、とりあえず毎日生きていた
高橋和明さんは、とりあえず仕事も
していて、少しずつですが、時間が解決
してくれた面もあるそうです。
そして、現在の奥さまと出会い
『難しく考えなくて良い』という
ことを教えてもらい、徐々に回復…
『正解か間違いか、白か黒か』
決めたがる高橋和明さんでしたが
『どっちでもいい』
『どっちでも許してあげる』
という奥さまと交際をするうちに
いつの間にか、心療内科に通わなくなり
服薬せずとも絶望感に支配されることは
なくなっていったそうです。
高橋和明さんの印象深い一文がコチラ↓
鬱病になるまでが、『一人で強く在ることの限界を知る時間』だったとすれば、鬱病になってからは、『人前で弱くなれるための練習時間』だったのかもしれない。
シンプルながら、奥深すぎていて
ドキッとさせられてしまいましたが
ともあれ、奥さまは天使ですね(^^)/
高橋和明さんは、何度かの転職を
経て、とある障害者支援施設に勤め
今年で勤続12年目だそうです。
4.高橋和明さんの受賞のことばとは?
なかなか、重いテーマのエピソード
ばかりですが、今回の受賞についての
コメントを読めば少しすっきり(^^)/
この福祉賞の募集要項を見た時素直に「書きたい」と思いました。私にとっ
て書くこと自体に大きな意味がありましたが、このような素晴らしい賞まで頂き、とても驚いています。自分の過去は不幸だったと決めつけて蓋をしてきましたが、書き進める作業は不思議と爽快感をも伴いました。
これからは、兄を想う気持ちも弱い自分も恥ずかしがらず、胸を張って堂々と生きていける清々しい気持ちです。この度は本当にありがとうございました。
高橋和明さんの兄は、養護学校を
卒業後、施設に入所しています。
母親は、できる限り面会に行ったり
外泊で家に連れて帰ったりしていて
父親が残した財産で建てた家は
玄関スロープから始まり、段差の
無い床、広い浴室、全てが兄仕様。
妹は、高校卒業後、看護師を目指して
看護学校に入り、寮生活を始め、看護師と
なってからも一人暮らしを続けた。
「お父さんが倒れた時、隣で寝ていた
自分は何も出来なかった」と、看護師を
目指したきっかけを母に話したとか…。
その妹さんも今年の6月、病院に勤める
精神保健福祉士さんと結婚したそうです。
ご家族みなさまが、それぞれ新たな
家族をつくっていくステージになり
今後のお幸せを願わずにいられません。
今回の番組オンエアを観て、多くの方が
同じような痛みを感じ、幸せを感じて
何気ない日常を大切に過ごせるといいですね…
最後までお読みいただきまして
ありがとうございます(^^)/